夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
西城正三さん
華のあるシンデレラボーイ
キックの失敗もチャレンジ精神
海老原博幸に続いて、協栄ジムで2人目の世界チャンピオンになったのは、フェザー級西城正三(現オークラジム会長)である。実に華のあるボクサーだった。“シンデレラボーイ”という異名にも、そのあたりのニュアンスがにじむ。 ロサンゼルスでボクシング修行をしていた西城が、ノンタイトル戦で世界王者のラウル・ロハス(米国)を破る殊勲を挙げ、その実績を買われて臨んだタイトルマッチでも判定勝ちして、無名から一躍世界の頂点に駆け上がった。“シンデレラボーイ”と呼ばれたゆえんである。 これは日本のボクサーが海外で世界タイトルを奪取した初めての快挙だった。ボクサーというよりタレント向きの甘いフェースをしたハンサムボーイが、大それたことをやってのけたのはボクシング界の驚きだった。 快挙を達成したのは1968年9月。当時、ボクシング会場に女性の姿はちらほらしかなかった。“シンデレラボーイ”の出現で、にわかに女性のボクシング・ファンが増えた。無類のハンサムボーイは、ボクサーとしては、いささか頼りなく見える。それが母性本能をくすぐったのかもしれない。 世界タイトル獲得後の第1戦、フラッシュ・ベサンテ(フィリピン)とのノンタイトル戦は、頼りなさと強さが混在した最高傑作だった。西城が8ラウンドにKO決着をつけるまで、倒し倒されること4度ずつ、実に8度のダウン応酬があるというドラマチックな試合だった。年間最高試合に選ばれた密度の濃い攻防だったが、4度も倒されたことは自慢にならない。「あれは筋書きのあるドラマだったんですよ」と西城氏は、照れくさい思いを冗談にまぎらして話していたものである。 世界タイトルは5度守って大チャンピオンの仲間入りを果たすが、ほかに世界タイトルマッチに匹敵するスペシャルマッチを記録に残した。1階級上ジュニア・ライト級世界チャンピオン小林弘(中村)との現役世界チャンピオン同士の対決(ノンタイトル戦)だ。 方や“シンデレラボーイ”ならこなた“雑草の男”の対照の妙もあって人気を呼んだ好カードは、期待に応える攻防を繰り広げた。階級の差もあって西城は判定で敗れたが、雄雄しいファイトは負けてなお株を上げる内容だった。甘い顔に隠された根性は、さすが世界チャンピオンと感心させられたものだ。 引退後にキックボクシングに転向したのは、人生の失敗ではないかと思う。モチ屋はモチ屋である。キックの第一人者・藤原敏男にボクシングは通じなかった。当然、イメージダウンは免れなかった。 ただ、キック転向は悪徳でもなんでもない。持ち前のチャレンジャー精神の発露だったのかもしれない。これはジムの会長として、ぜひとも後進に注入してほしい要素の1つだ。ボクシングの人気を盛り返す“第二の西城”の出現が待たれる。
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