夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
小熊正二さん
3回前に書いた新日本木村ジム・木村七郎会長に連なる人脈から2.3書いてみたい。木村会長は新日本グループの総帥だけに、その人脈は広い。数人からなるこじんまりとしたグループなら、一枚岩でまとまることが簡単だが、新日本グループは数が多いので、時には“抵抗分子”が派生することもある。
そんな中にあって、木村会長と揺ぎない絆で結ばれているのが、世界を目指して苦楽をともにした元WBC世界フライ級チャンピオン小熊正二だ。現役時代は大熊のリングネームを使った年月が長かった。
木村会長の項でも触れたように、七転び八起きの師弟だった。世界挑戦すること9度。これは国内最多記録である。9度挑戦して世界タイトルを獲得すること2度。防衛は3度。減量との戦いでエピソードを残した世界チャンピオンはあまたいるが、小熊もその1人である。。
1980年5月、小熊は敵地韓国でWBCフライ級チャンピオン朴賛希をKOして、王座返り咲きをやってのけた。この時、同行取材した私は、小熊の並外れた精神力に感服し、驚きもしたものである。
試合の前日、ホテルの小熊の部屋を訪れた。前日の表情を取材して送稿するためだ。木村会長と並んでソファに掛けた小熊は顔色が悪く、げんなりしていた。「すいません。口を開く気にならないんです」と、やんわり取材拒否した。
見た通りの記事を会社に送った。勝負の見通しが暗いものだったのは、いうまでもない。そんな予測を見事なまでに引っくり返して小熊は最高ともいえる出来で朴をKOするのである。
あのぐったりした様は演技だったのだろうか?。だとしたら輪島功一(元世界ジュニア・ミドル級チャンピオン)が、相手陣営をあざむくために使っただましのテクニックに、引けを取らない。同行した各紙の記者も、小熊の苦しい表情を送稿している。日本にいる韓国の人が、朴陣営に電話で情報を伝えるのは容易なことである。
そんなことで朴に気の緩みがあったのか、小熊の予想外の出来のよさと相まって、回を追って流れは小熊の方に傾いた。それが思わぬ形で中断された。リングサイドの記者席あたりで、日本から来た応援団の一部と韓国カメラマンが、ケンカ騒ぎを起こしたのだ。
日本の応援団目がけて、2階席から物が投げ込まれ、それがリングにも落下して、試合は中断したのだ。この時、会場は軍隊によって警備されていた。折からソウルは戒厳令下にあり、人が多く集まる場所は、軍隊が警備することになっていたのだ。
警備兵のピーピー鳴らす警笛で、騒ぎは収まった。こちらは暴動に巻き込まれるのではないかと、生きた心地がしなかったが、続開したリングで、小熊は朴を9ラウンドKOに仕留めたのだった。感情を表に出さないポーカーフェイスの小熊。見えざる男度胸に、ただただ感じ入った次第だった。
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