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L G I A vol.9
ジム・メートの運命
ファイティング原田とカッパの清作
先週の日曜日(7月6日)昼、スーツの胸に大きな白い花章をつけた原田政彦・日本プロボクシング協会長(60歳)は東京・上野駅構内のセレモニー会場に立っていた。この日はボクシングの協会長としてではない。ガード下近くに「歌碑」が建立され、その除幕式の主催者を代表して式に臨んでいたのだ。歌は日本が高度経済期にあった昭和三十年代後半に井沢八郎さんが歌って大ヒットした「あヽ上野駅」。当時「金の卵」と期待され、地方から集団就職で上京した若者たちを大いに励ますことになった。
そして、この歌に励まされ、今は中小企業の経営者になっている人たちが中心になって、上野駅に「あヽ上野駅」の歌碑を建てようという機運が盛り上がり、委員会が発足し、その会長に原田さんが担ぎ出されたというわけだ。
ご本人は東京・目黒区の出身で、集団就職で上京という経験はないが、歌がヒットした同じ時期に「ファイティング原田」としてリングの上で大暴れ。これによって歌同様に若者を勇気づけたことから、この会のシンボルとして会長に推され、原田さん自身もこれを快く引き受けたのだ。
原田さんといえば、フライ、バンタムの2階級で世界チャンピオンとなり、日本人ただひとり世界のボクシング殿堂入りした、わが国のリング史を代表する名チャンピオンだが、今回ご紹介する写真は、出世する以前のグリーンボーイ時代のスナップである。撮影されたのは、昭和35年にデビュー(まだ16歳!)した後、新人王トーナメントを勝ち抜いていた頃の一枚である。まだ「ファイティング原田」のリングネームを名乗らず、本名でリングに上がっていた。笹崎ジムの前で、当時まだ珍しかった外車、フォルクスワーゲンをバックに、ジム・メートの斎藤清作と記念写真におさまった原田さん。童顔の原田さんは今年還暦を迎えたとはとても信じられないほど若々しいが、それでもこの写真に写っている17歳のフレッシュ・ボーイぶりはどうだ。
「車は大好きだったけど、あれは俺のじゃない。茂野トレーナーが働いていた家のアメリカ人のボスが所有していたのを借りて乗ってきた。珍しいから斎藤清作と一緒に写真を撮ってもらったんです」(原田氏)。この写真に写っている、まだ幼さも残る風貌から、やがて世界の檜舞台に出ていく若者の大きな野心が読み取れるだろうか。
右の斎藤は当時同じ新人王レースのフライ級で勝ち抜いていた。原田が速射砲のラッシング戦法なら、「カッパの清作」斎藤も下がることを知らない猛烈ファイターである。このままいけばどうしても原田との同門対決は避けがたい。ここでジムの判断で斎藤を説得して、トーナメントから棄権させた。同門での潰し合いは避けたいという判断が働いたのだ。そして、思惑通り原田さんは世界王座目指してまっしぐら。一方の斎藤も、原田より2ヵ月遅れで日本チャンピオンになっている。
もし、あの時ふたりが対決していたら、どうなっていたろう。斎藤清作は自分が最強だと信じ、棄権するのが不満だったという見方もある。これは分からないが、当時の斎藤がそう思っていたとしても不思議はない。勢いのあるホープなら誰でもそう思うだろう。ただし、これはあくまで結果論だが、2人のボクシングの質からして、やはりジムの判断は正しかったと思える。もし実際に戦って原田に敗れたとしたら、斉藤はもっと早くボクシング界から去り、日本チャンピオンにさえならなかったかもしれない(もちろん、勝つ可能性もあったろうが)。その方が第2の人生で役者として末永く活躍したのではないかといわれれば、それまでだが・・。斎藤清作−−芸名「たこ八郎」は異能のコメディアンとして活躍し、43歳の若さにして、真鶴の海で謎の死を遂げる。2人は最後の最後までよき親友だった。原田さんは親友が死の直前に掛けてきた電話が今も不思議でならないという。
● 今日は何の日? ●
July
12/土
3階級制覇のメキシコの英雄、フリオ・セサール・チャベス、シウダド・オブレ
ゴンに誕生(1962)
13/日 "トーイ・ブルドッグ"の異名をとったミドル級名王者、ミッキー・ウォーカ
ー、ニュージャージー州エリザベスに誕生(1901)
14/月 世界バンタム級王座に就く前の怪物ルーベン・オリバレスがアンヘル・エルナ
ンデスを5回KOに沈め、デビュー以来不敗の26連勝25KOを記録(1967)
15/火 タイの天才、センサク・ムアンスリンがプロ転向3戦目でぺリコ・フェルナン
デスを倒し、WBC世界J・ウェルター級タイトル獲得。スピード出世の世界
最短記録達成(1975)
16/水 神戸で行われたWBC世界フライ級タイトル戦で、勇利アルバチャコフが最強
挑戦者イサイアス・サムディオに判定勝ちし、3度目の王座防衛に成功
(1993)
17/木
3階級世界タイトルを同時に保持した名王者ヘンリー・アームストロングが、ノ
ンタイトル戦でルー・ジェンキンスに6回TKO勝ち(1940)
18/金 37歳のジョー・ウォルコットがエザート・チャールズを7回KOに破り、史上最
高齢のヘビー級王者(当時)となる(1951)
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