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L G I A vol.3 Oldtimers'
ヨネクラジム40周年パーティから
去る5月25日に都内のホテルで催されたヨネクラジム設立40周年記念パーティは、各界の著名人を含め800人を超す大宴会となった。ここでは当日出席したヨネクラジムのチャンピオンたちの中でも、特に珍しい顔、懐かしい顔をご紹介したい
柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人の世界王者を含む自ら育てた27人の現元チャンピオンが段上に揃う中、挨拶する米倉健司会長。「80、90まで頑張りたい。世界チャンピオンをもう3人ばかりつくりたい」と、この日数えで70歳の会長は意気盛ん |
ジム第1号王者の林守氏と右は東海林博氏。林氏は会社経営、現役時代「飲んべのショーちゃん」と言われていた東海林氏は、引退後は真面目に印刷会社のサラリーマンを続けている |
テレビでもおなじみガッツ石松さんはどこでも人気者。記念撮影を依頼するフアンが殺到して身動きとれず |
川島トレーナーを囲んで右から岩本悟、小林裕幸、石垣仁の3王者。現役時代から努力の人だった岩本氏はその後も努力を続けて現在は寿司店経営、強打でアマ・プロの王者になった石垣氏は秋田で自営業、J・フェザー級で2度制覇した小林氏は香川で運転手と、地道に第2の人生を歩
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今も個性的な風貌の古城賢一郎氏。滅多にこの種のパーティに姿を現すことがなく、旧知の元同僚たちからも珍しがられていた。左は帰郷して水戸市でジム(BOY’S水戸)を開いたばかりの中島俊一会長
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ヨネクラジム3人目の世界王者中島成雄氏(WBC・J・フライ級)は会社経営、左成田城健元ライト級王者はトレーナーとしてジムを支えながら、近くラーメン屋さんを開業とか
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辻本章次(現西日本ボクシング協会長、江坂ジム会長)、東海林博両氏は一緒のキャンプでいかに会長の目を盗んでロードワークで楽をしたかの思い出話を。左は3階級日本王者の田中敏之・現五代ジム会長。この人も最初はヨネクラでチャンピオンになった
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元日本J・ウェルター級王者山本義広さん。「行き着けの飲み屋に
クリチコの妹がいるんですよ、今度ちゃんと取材しときますから」と言っていた。本当かな?
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来賓として招かれ米倉会長に祝辞を述べる羽田孜元首相。
同郷(長野県)の西澤ヨシノリ(右)の熱心な後援者のひとりだ |
● 今日は何の日? ●
MAY
31日 ファイティング原田、エデル・ジョフレとの再戦に15回判定勝ちし、世界バン
タム級王座防衛。日本武道館(1966)
1日 高知市で行われたWBA世界J・フライ級タイトル戦で、具志堅用高がマルチン
・バルガスをKOに撃退、自己記録を更新する12度目の王座防衛に成功(1980)
2日 ミドル級名王者カルロス・モンソン、ブエノスアイレスでの7度目の防衛戦で元
ウェルター級名王者エミール・グリフィスを再度撃退(1973)
3日 東京都体育館で行われたWBC世界フェザー級タイトルマッチで、柴田国明が
メキシコの挑戦者ラウル・クルスに右強打を爆発させ、初回3分4秒でKO撃退
(1971)
4日 WBA世界J・ミドル級王者、輪島功一が東京・日大講堂で行った防衛戦でオス
カー・ショットガン・アルバラードに最終15回にKO負けを喫し、初の王座転落
(1974)
5日 後のWBC世界ライト級王者ガッツ石松、栃木県上都賀郡粟野町に鈴木有二と
して誕生(1949)
6日 「人間風車」と異名をとったミドル級王者ハリー・グレブが、米ピッツバーグに
誕生(1894)
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