ショーセイの新米ジム会長奮戦記

新田 渉世 
(元東洋太平洋バンタム級王者)


“私的な……”では通用しない

  ギョーカイの難しさ!

  最終的にジムオープンパーティの招待客は150名近くに及んだ。しかし、企画の時点では"誰を招待するべきか―"ということで随分悩んだ。一般的にジムのオープンや改装、移転などのお披露目パーティでは、業界関係者が招待客の中心となる。全日本、東日本のボクシング協会会長、事務局長、コミッション関係他、いわゆる大御所、実力者の方々には声をかけて然るべきである。しかし新田ジムはオープン当初、日本ボクシング協会加盟を前提としていたとはいえ、「加盟金の支払い(元OPBF王者の場合400万円)」という大きなハードルを越えていない未加盟ジムだった。言わば未承認のプライベートジムがオープンしたに過ぎなかったのである。そのような分際のジムが、果たして業界関係者に声をかけてよいものなのか、いやいや声をかけるべきなのか・・・。
 結局私が下した決断は、親しい友人知人、お世話になった方々のみをお招きする"プライベートジムのプライベートパーティ"の開催だった。プライベートで招待したい人数がかなり多かったことと、業界人として"誰を呼んだ、呼ばなかった"という難しい問題には、まだ関わりたくなかったことが大きな理由だった。協会に加盟した暁には、改めて業界関係者中心のパーティを開催すればいいという腹積もりでいた。
方針が決まったのは、パーティ予定日の1ヶ月前だった。(時間がない!)大急ぎで高校、大学時代の友人、サラリーマン時代の上司や同僚、出身ジムの先輩、後輩、現役時代の後援者、地元の親しい友人知人等に招待状を送った。更に某月刊webマガジンの対談コーナーで親しくなったボクシング関係者達にも、あくまで"友人"として招待状を送った。当日、パーティは盛況でほとんどの招待客が、心から新田ジムのオープンを祝福してくれた。・・・と思っている。
  しかし、その約1ヵ月後、"悪夢"は訪れた―。元日本フライ級チャンピオンの渡久地隆人氏が主宰する「ピューマ渡久地ボクシングジム」が協会に加盟することになり、その記念パーティに出席した時のことだった。やはり業界関係者が多く出席したそのパーティには、全日本ボクシング協会会長のH氏や歴代会長のM氏、Y氏他、大御所や実力者達の顔ぶれが並んだ。新田ジムの"プライベート"パーティでは招待状を出さなかったが、礼儀を尽くして順にビールをついで挨拶に回った。そして、現協会長のH氏の順番になった時のこと―「何だお前、知らないうちにパーティやっちゃって!出席できないかもしれないけど、招待状くらい出すもんだ!!」と怒られてしまった。「いや、その、あのパーティはですね・・・」と、何を言ってもダメだった。"プライベートな友人"として招待したボクシング関係者は、元世界、東洋太平洋、日本チャンピオンやジム会長ら約30名。メディアにも多く取り上げられたパーティは"プライベート"では済まされなかったのだ。「新田さん、この業界はね、順番をひとつ間違えるとえらい事になるからね。気を付けた方がいいよ・・・」以前Yジム会長にチクリと忠告された言葉が思い出された。

新田ジム 最新情報

 新田ジム夏季限定女性クラスが終了し、参加者の中から10名が一般練習生として入会してきました。皆ダイエット・体力づくり目的ですが、和気あいあいと、時には真剣な眼差しでミットやサンドバッグを叩いています。
 現役東大生マネージャーの酒井知基君が、2週間のイギリス研修に出発しました。と言ってもボクシング関係の研修ではなく、現地日本人学校での教育実習という大学のカリキュラムの一環です。ともあれ、ひとまわり大きくなって帰国することを期待しています。

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新田渉世(にった・しょうせい) 
87年、横浜国大2年の時にプロデビュー。96年10月にOPBFバンタム級王座を獲得し、「国立大卒初の王者」としても話題となった。
34戦23勝(17KO)9敗(3KO)2分

新田ボクシングジム   
神奈川県川崎市多摩区登戸2832 小田急線向ケ丘遊園駅徒歩5分
TEL 044-932-4639
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