ショーセイの新米ジム会長奮戦記

新田 渉世 
(元東洋太平洋バンタム級王者)

 韓国の"師匠"にジム開設を報告

 ジム開設にあたり、どうしてもきちんと報告しなくてはならない人物がひとりいた。元WBA世界バンタム・Jフェザー級チャンピオン"韓国の英雄" 洪 秀煥(ホン・スーファン)だ。韓国人初の世界2階級王者であるとともに、その2階級目の王座奪取試合が、敵地でしかも4度のダウンをはねかえしての逆転KOという劇的なものだったために、当時の韓国国民に夢と勇気を与えた国民的"英雄"だった。
引退後は紆余曲折を経てL.Aに移住していたが、私が4回戦ボクサーだったころに、ある縁で金子ジムの特別コーチとなった。大事な試合の前などに来日し、ボクシングのエッセンスを伝授してくれた。ボクシングだけでなく人生についての多くを指導してもらった"師匠"である。秩父の山奥でおこなった2人だけのトレーニングキャンプで学んだことは、私のボクシング、そして人生に大きな影響を与えている。残念ながら世界の舞台へは手が届かずに、私の現役生活はピリオドを打ってしまったが、そのボクシング理論(ホンさん曰く、アメリカの正統なルーツを持つ理論)を後進に伝えてゆくことが、これからの使命だと思っている。
 ジム開設の為の「資金確保」、「物件確保」のメドがついたところで、現在ソウルに在住しているホンさんを訪ねた。事前に何度かEメールでやり取りをし、スケジュールを空けておいてもらったのだが、現地では"師匠"から予想外の熱烈歓迎を受けた。
 到着日の夕方、早速ホテルにホンさんから電話が入った。「ニッタ!ゲンキ?」相変わらずの生命力あふれる声が受話器から響いてきた。「迎エニ行クカラネ、ディナー、一緒ニOK?」少し日本語がたどたどしくなっていたが、紛れもなくあのホン・スーファンだった。わざわざ車でNITTA & HONG.030704.JPG - 14,840BYTESホテルまで迎えに来てくれたわけだが、ホンさんがロビーに現れると周囲はざわざわし始め、ひとりの若い青年がサインを請うとそれに快く応じていた。(カッコイイ・・・)日本にいる時も、よく通りすがりの韓国人から「ホン・スーファンですね?!」と声をかけられていたが、地元ではそれ以上の有名人ぶりだった。
 車で連れて行ってもらったのは、大きな大きな焼肉屋。大衆食堂のような所だった。あちこちのテーブルからホンさんに声がかかる。韓国語はよく分からないが、「やあ、ホンさん。調子はどうだい?!」「あー、まあまあさ!」と、友達のように話している。国民性なのか、ホンさんの人柄なのか分からないが、後の行程でもずっとその雰囲気は変わらなかった。
次々とテーブルに並べられてゆく本場の焼肉料理に舌鼓を打ちながら、またボクシングの世界でホンさんと一緒に仕事が出来る喜びを噛みしめていた。
 「ニッタ!アンタモ僕モネ、"ボクシング人"ナンダヨ!!」昔のままの笑顔だった。

新田ジム 最新情報

前回お知らせしたとおり、7月10日にプロテスト受験が決まっている西 禄朋(23)が、6月27日に、日本ライト級4位の伊藤俊介(金子ジム)を相手に2Rのスパーリングをおこなった。そこそこ頑張って"ボクシング"にはなっていたものの、左目の周りに青あざを作って悔しそうに言った―「クソォ、手抜いてやがった・・・」

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新田渉世(にった・しょうせい)
87年、横浜国大2年の時にプロデビュー。96年10月にOPBFバンタム級王座を獲得し、「国立大卒初の王者」としても話題となった。
34戦23勝(17KO)9敗2分

新田ボクシングジム   
神奈川県川崎市多摩区登戸2832 小田急線向ケ丘遊園駅徒歩5分
TEL 044-932-4639
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