新田 渉世 (元東洋太平洋バンタム級王者)
Unanimous Decision! 「全会一致」判定勝ちで融資をゲット ボクシングジムとして使用するということで、10件以上の物件で入居を断られたものの、S市議やボクシング好きの大家さんのおかげで、逆転KOで良い物件を確保することが出来た。そして融資申込みの為の全ての書類を揃えることが出来た。元世界チャンピオンのLジム会長とは違い、ほとんどのことは"一般人"として挑んでゆかなくてはならない。万事こんな調子で一歩一歩進めて行くしかなかった。金融機関の融資担当に全ての書類を提出し、正式に融資の申込みをおこなった。 数日後、「経済局産業振興部金融課」という難しい名称の部署から連絡が入り、中小企業診断士が物件の視察と面接に来ることになった。まだ電気も机もないジムを訪れた若い診断士は、何枚かの写真を撮りながら、「いやあ、ボクシングジムを開業する人って、もっと怖い人かと思っていましたよ!」と、驚きと安堵で顔をほころばせていた。どうやら好印象を与えられたようだ。苦労して作成した事業計画書の評価も悪くなく、「頑張って下さいね。」と、"診断"というより"激励"をいただいてしまった。 2週間後、最終審査会が開かれた。金融機関の融資担当から電話が入り、「全会一致で"融資妥当"の採決が出ました。全会一致は珍しいですよ!」と、興奮ぎみに告げられた。「中小企業融資制度」を利用してボクシングジムを開業するケースは、市ではこれが初めてで、関係者の期待と関心はかなり高いとのことだった。 (よっしゃあ!)これで"資金"と"ハコ"が確保出来た。会社を辞めて約3ヵ月―。目まぐるしい日々を過ごし、まずは最低限の準備が整った。3ヵ月での進捗状況を順調と見るべきだとは思うが、スポンサー撤回事件、ピストル襲撃事件、物件確保困難などなど、そこそこ"山あり谷あり"ではなかっただろうか。ともあれ、スタートはこれからだ。 私は準備開始時から作成していた"アクションプラン"を再度見直し、諸々の戦略を練り直した。"アクションプラン"の大項目は「資金確保」、「不動産確保」、「設備導入」、「会員確保」、「業界参入」の5項目。「資金確保」と「不動産確保」はどうにかメドがついた。次なるステップは「設備導入」だが、「会員確保」についても、早急に準備を進めた。物件の賃貸契約を結んだ時点から、家賃は否が応でも発生している。無収入のまま長い時間を過ごすことは、そのまま自分の首を絞めることになる。一日でも早いオープンと、一人でも多くの会員を確保することが急務だった。 最低限必要な設備を用意するために、物件を確保してから3ヵ月の時間を当てた。シャワールームを増設しなくてはならなかったことや、たまたま正月休みを挟んでいたことなどの理由で、どうしてもそれだけの時間が必要だった。 2003年2月5日オープンに向け、目まぐるしい日々はまだまだ続くのだった。? 新田ジム 最新情報 7月10日にプロテスト受験が決まった西禄朋(23)は、新田会長の古巣である金子ジムに出かけてスパーリングをこなしている。プロ選手を相手に引けをとらないスパーリングをしているが、すぐにガードが下がるなど、まだまだ課題は多い。6月27日には、日本ライト級4位の伊藤俊介の胸を借りる予定となっている。どの程度のスパーリングが出来るか楽しみである。
新田渉世(にった・しょうせい)87年、横浜国大2年の時にプロデビュー。96年10月にOPBFバンタム級王座を獲得し、「国立大卒初の王者」としても話題となった。 34戦23勝(17KO)9敗2分
▼新田ボクシングジム 神奈川県川崎市多摩区登戸2832 小田急線向ケ丘遊園駅徒歩5分TEL 044-932-4639●ホームページできました!
コラム一覧 バックナンバー
(C) Copyright2003 ワールドボクシング編集部. All rights reserved.