勝者なきリング
池−ブロディー戦から
今回も先週に続き、判定問題を取り上げることになった。10月18日土曜日、英国マンチェスターで行われた池仁珍(チ・インジン=韓国)対地元のマイケル・ブロディーによるWBCフェザー級王座決定戦である。この試合はテレビ観戦したわけでもなく、今のところインターネットや新聞で拾った情報でしか語れない。それでも試合後の混乱ぶりからスキャンダラスな臭いがプンプン立ちこめている。
試合は各メディアが「イギリス過去5年間でベストの一つに挙げられる白熱ファイトだった」と絶賛するように激戦に終始したことは間違いないようだ。勝者、つまり新王者がフェザー級最強マルコ・アントニオ・バレラとのビッグマネーファイトに駒を進めることが内定していたことも両雄のモチベーションを刺激したに違いない。そして12ラウンドの戦いが終わり、読み上げられた公式スコアは2−0(114-112、113-112、113-113
)で極東から遠征したスリムなコリアンを支持。彼の腰にグリーンのベルトが巻かれた。
だが、池が歓喜に浸れたのは勝利コールからほんの10分程度だった。モスクワの年次総会から英国入りしたスライマン会長やこの日スーパーバイザーを務めた欧州連合会長でWBC副会長のルーベン・マルティネス氏(スペイン)らの重鎮たちがステージ裏の密室で協議した結果、何とスライマン氏自身が集計ミスを陳謝するハプニング。裁定はマジョリティードローに覆り、王座は空位のままとなってしまったのだ。同氏は「正直に言わせてもらうと、完全に私のミステイク。でもファンは素晴らしいファイトをもう一度見られる。WBCは即リマッチを認めよう」と試合の中味をアピールしたのだが、せっかくの好勝負に水を差し、論議を呼ぶことになった。
何でも事の発端は開始早々発生した偶然のバッティング。WBCルールに忠実だった主審は“負傷しなかった”ブロディーに対して減点1を科したのだが、試合途中に「両者ともカットした」という見解に達し、そのマイナス点が取り消されたようなのだ。“ようなのだ”と曖昧な表現になるのは、もしそうならばスコアは114-113、113-113、113-114
と同じドローでも三者三様になるはずだが、訂正されたスコアは114-112(池)、113-113、113-113のマジョリティードロー。一人のジャッジのスコアが集計時に訂正されていなかったのだろうか。ちなみにこの一戦のジャッジはフーバート・ミン(米)、フランシスコ・バスケス(スペイン)と並び日本から浦谷伸明氏が派遣されている。
ベルトを“強奪”されたかたちの池は2ラウンドに痛烈なダウンを奪ったという。現地のメディアの記事では倒されたブロディーは奇跡的な回復力で挽回をはかったそうだが、以後競った内容ながら、池の方が優勢だったという見方がされている。その記事を書いた記者も「疲れて非常に失望している。私が勝ったと思う」という池のコメントを引用し、「正直、私も同意見。116-113
で池の勝ち」と主張しているくらいである。
低迷期の韓国ボクシング界。主要団体のランキングを見渡しても名前が載っているのは、この池とL・フライ級前チャンピオン崔堯三、同級の金在原だけという寂しさ。もし池がWBC世界フェザー級王者というステイタスの高い王座を獲得していれば、同国のボクシング業界にたいへんなインパクトを与えていたことだろう。同時に世界との隔たりを痛感しているアジアのリングにも朗報となって届いていたはずだ。
同じ東洋人として池の肩を持ちたくなるのは許していただきたい。ただ、この決定が“愚かな結末”(あるインターネットの記事)を迎えたのは、単純なカウントミスのせいだけなのだろうか?そしてその“実務”を担当していたのが、ほかならぬ天下のスライマン会長だったことは信じがたいことだ。同会長は文字通り、お目付役だったとはずだが、やはり信じられないことにスコアが訂正された後、あるレポーターに詰め寄られ、手を出そうとして制止された、とまで報じられている。健康状態が悪化し、普段ステッキを使って歩行し、車椅子移動も珍しくない同氏。その場面では相当、頭に血が上っていたと想像される。
それにしても決定戦におけるドロー結末というのは、何とも味気ないものだ。ボクシングという競技の性格上、1ラウンド延長などと融通を利かすことは難しいかもしれないが、よほどのダメージを選手が負っていなければ、一考の余地もあるのではないか。バレラの相手が決まる試合だっただけに、やっぱり仕切り直しは歯がゆい感じがしてしまう。それともバレラの相手を選ぶ一戦だったからこそ、当事者同士の利害関係が絡み合い、こんなドタバタ劇が生まれたとも勘ぐりたくなる。ボクシングを愛する者の一人として変な詮索を入れるのは好ましくないかもしれない。だが、大物が巻き込んだフィナーレで勝者が生まれなかった事実は、疑惑判定と同様、あるいは見方によってはそれ以上の不信感をファンに植えつけてしまった印象すらしてしまうのだ。
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