キャッチ三浦の

アメリカン・シーン

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三浦  勝夫
(ワールド・ボクシング米国通信員)
M.A.バレラと筆者

またもアジア人王者は勝てず…。
しかし満喫できたシリモンコン−チャベス戦

  アメリカでも久々に世界戦の雰囲気を堪能させてもらったのが、15日テキサス州の州都オースチンで行われたWBC・S・フェザー級タイトルマッチである。「アメリカでも」と言ったのは、例えばラスベガスで挙行される複数世界戦などは好カードが連発しても、戦う選手にとってニュートラルな立場が優先され、なぜか“事務的”に試合が処理されてしまう印象がするのだ。増してやガラガラのスタンドで第1試合から世界戦を見る羽目になったりすると、興ざめの極致に陥る。

 その点、オースチンの一戦はメキシコ出身ながら地元のヘスス・チャベスが満を辞して遠来のタイ人王者シリモンコン・シンワンチャーに挑むという設定が何ともうれしかった。本来このカードは今年3月にラスベガスで実現するはずだったのだが、シリモンコン側の都合で延期の憂き目にあった。WBCから指名試合を強制された王者がやっと重い腰を上げ?敵地リング登場を決意したことが、皮肉にも豊饒な雰囲気をつくり出した要因といえよう。

 町の中心部の近くにあるコンベンションセンター。以前からソールドアウト(売り切れ)という話を聞いていたので、客席全部が埋まることは予想していた。実際、メインが始まる前にフルハウスとなり、プラカードを持って地元ヒーロー、チャベスを応援するファンに混じり、特大のタイ国旗も会場をかけ巡る。数ではとてもかなわないものの、王者といっしょにタイから同行した人たちやアメリカ在住らしき同胞ファンも見受けられる。アリーナ全体を見渡して「観衆7千人」という感じがしたが、試合後、この会場のキャパシティーが4,100 人であることが分かった。彼らの両雄へ向ける熱気が、より多くの観衆が集まったような錯覚を起こさせたのだ。

 願わくば、両者がリングに登場した時点で両国国歌斉唱となれば、雰囲気は最高潮に達したに違いない。だが、残念ながら、それはなかった。タイ国歌を歌える人間を見つけ出すことができなかったのかもしれないし、チャベスが“メキシコ人”ということも影響したのかもしれない。いずれにせよ、ポクシング興行といえども経費にはシビアなアメリカのこと、できる限り支出を抑えたと思われる。逆の見方をすれば、アメリカ国歌だけが流れてシラけるよりはマシだったかもしれない。

CHAVEZ-SIRIMONKOL.1.030815.JPG - 14,854BYTES さて、試合。この日同じリングに出場した稲田千賢に同行した帝拳ジム本田明彦会場が思わず「狭いリングだなぁ」と感想を漏らしたように、“決闘の場”はラッシャー、チャベスに有利にセッティングされていた。だが、これが試合をよりヒートアップさせる原因でもあった。シリモンコンは初防衛戦で崔龍洙を下したような戦法を取りたくても取れない状況に置かれていた。かと言って、長嶋健吾に苦渋を味合わせた速攻にも身を投じることはもっと困難だった。ペースはおのずから“マタドール”の異名を持つチャベスへと傾く。一言で表現すれば、チャベスは攻撃リズムを掌握したといえる。2年近く前の初挑戦でフロイド・メイウェザーの技巧に屈したチャベスだが、執拗なプレスを試合全般に渡ってかけ続け、シリモンコンの牙城を攻略した。

 このタイトル戦に興味を注がれたもう一つの理由は、本場の一線級に対して、果たしてアジア人王者がどの程度通用するのか、持ち味を発揮できるかという点だった。いわばチャンプと挑戦者の立場を逆にして東洋人の技量、力量を測定して見たかったのだ。シリモンコンのコンディションは特に悪いように見受けられなかっただけに、残念にも結果はアジア圏に対して好意的ではなかった。今回、シリモンコンという選手を通して垣間見た本場との実力差を埋めてくれるホープの台頭を日本ボクシング界にも望みたいところだ。デラホーヤ−モズリー戦の前日(9月12日)、ラスベガスの晴舞台に再登場する稲田のパフォーマンスにじっくり注目してみたい。

 

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