サンデー・パンチ
粂川 麻里生
ウィラポン-西岡「Part4」の憂鬱
昨年10月4日に行われた第3戦の「ドロー」を受けて、ウィラポン・ナコンルワンプロモーションと西岡利晃の4度目の対戦が決まったのだという。これには、いささか複雑な気持ちなファンも多いのではないか。本サイトの掲示板にも、「疑問」の声が多く寄せられている。
たしかに、西岡はおそらく今なお日本最高の実力者で、ウィラポンを攻略する可能性も、多少なりとも秘めているだろう。両者のこれまで3度の対戦は、どれも技術的には実に見ごたえがあり、ウィラポンの圧勝と思える試合でさえ、西岡の厳しいボクシングも相当に王者を追い込んでいたとも思う。彼らが4度目の対戦に望めば、両者のコンディションが悪くない限り、やっぱりそんじょそこらにはない上等な試合を見せてもらえるだろう。その点では、期待したい気持ちは無論ある。
しかし、いくらオフィシャルのジャッジが「ドロー」と言ったからといって、一試合もはさまずに再戦というのは、いかがなものだろうか。なにしろ、ジャッジと西岡サイドの人間以外、誰も「ドローは妥当」などとは言っていないのである。試合後の僕の「フルマークでウィラポン」というのも、極端な見方なのかもしれないが、西岡にひいき目にみても、3〜4ポイントはウィラポンがリードしていたはずだ。ファンの心の中では、はっきり「西岡は大敗」であるようだ。そうである以上、西岡の挑戦資格はペーパー上のものにすぎない。
それでも、公式結果はたしかに「ドロー」である。ジャッジが買収されたわけでもないようだ(彼らは多分、プロモーター・デシジョンのくせがついているのだろう)。チャンピオンと引き分けとなった以上、再挑戦の権利を主張するのも、プロフェッショナルとしてはまた当然のことではある。それなら、せめて一試合はさめなかったものか。
前回の第3戦では、「2年間で1ラウンドしか実戦がなかった」ことが試合勘を鈍らせた面もあったと言われる。ならば、ウィラポンと12ラウンド戦うと、それで試合勘が戻るのか? 自分のペースで戦えなかった多くのラウンドの感触をひきずって戦うことになってしまう危険の方が大きいのではないか? 中堅どころの相手との試合を1、2試合はさむか、理想的には世界ランカークラスの相手と戦った(辰吉丈一郎と対戦するのが理想だが……)あとに4度目の挑戦をするなら、ファンの支持も再び集まり、試合勘も十分に戻った状態で戦えるのではないだろうか。
また、直接に第4戦を行うことは、別のデメリットもあるのではないか。つまり、この試合の「意味」が著しく薄まってしまう危険を感じるのだ。ボクシングの試合というのは、基本的に「どっちが強いか」を決するために行われるのではないのか。3度戦い、「2勝1分(多くのファンの目には)」、その2勝はウィラポンの圧勝だとすれば、もう「どっちが強いか」は証明されてしまっている。仮に第4戦に西岡が勝ったとして、何が証明されるのだろう。「ついに西岡がウィラポンを攻略した!」、「打倒ウィラポンを果たした!」という声が上がるだろうか。西岡がKOで勝ったなら、それはウィラポンの調整ミスか、試合中のミスと見えてしまうのではないか。西岡が判定で勝つなら、それはウィラポンの油断か衰えだと見えてしまわないか。過去1度ならともかく、3度も対戦したら、その試合内容と結果は、両選手の優劣を語るのに十分すぎるほどの材料なのである。
すでに優劣がはっきりしているとすれば、「敗者」はしばし修行の時間をとらなければならないのではないか。何度でも立て続けに挑戦して、世界タイトルを取りさえすれば、それでいいのか。世界タイトルはたしかにリング内で最高の宝だが、であればこそ、そこに近づくには十分な敬意を持ってしなければならないはずだ。明らかなホームタウンデシジョンに救われた挑戦者に直接の再戦が認められるなど、タイトルマッチの格調を損なうことになる。これで、西岡がもう一度完敗を喫したら、どうするのだ。僕は、西岡のボクシングを高く評価したいと思うし、その知的でスリルあふれるスタイルも大好きだ。それだけに、ここでの挑戦は、あたら才能を散らしてしまう不安も感じてしまう。
名門・帝拳ジムは、大場政夫、浜田剛史の例をひくまでもなく、所属ボクサーに世界挑戦をさせるまでにじっくり段階を踏ませ、じつに格調高い王道のキャリアを歩ませることで尊敬を集めているジムでもある。それだけに、今回の西岡の試合の組み方はいささか拙速に思え、ちょっと残念だ。
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粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)
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