久しぶりに松の内に行われた世界戦は、2箇所で計3試合という大盤振る舞いだった。これがしょぼい印象しか与えなかったら、ボクシングの衰退というイメージを加速させたことだろう。しかしさいわい、3試合とも内容の濃い熱戦だった。日本人新チャンピオンは生まれなかったが、徳山チャンプはベストファイトといってもいい出来栄えを見せてくれたし、小島、中沼両挑戦者も、それぞれに持ち味とリングにかける思いをファイトに表現してくれた。大晦日の格闘技テレビを「はしご」した人々も、また別次元の本格的格闘スポーツを堪能してくれたのではないだろうか。
徳山昌守−ディミトリ・キリロフ
キリロフは紛れもなく危険な相手だった。パンチの決定力こそ恐るべきものとはいえないが、ボディーワークが巧みで、バランスもよく、おそろしく手数が出る。僕は、徳山が動き負けて、終盤に立て続けにラウンドを奪われての王座転落――というシーンも想像していた。
けれども、今回の徳山は、久しぶりに距離感と右ストレートのタイミングが冴え渡っていた。ペニャロサ戦(特に第一戦)を力づくの接近戦に持ち込みどうにか勝ちを拾ったときのようなパワーに任せた右ではなく、王座を獲得したときのような、伸びのあるうち降ろしのカウンター。キリロフはたしかに左ガードを下げてはいるが上体が柔らかく、けっして打ちやすい標的ではない。それが、序盤を過ぎたあたりから、徳山の右ストレートがしばしば痛烈にキリロフの顔面を打ち抜いた。
徳山の勝因は、けっして接近戦には持ち込まず、ロングレンジからのジャブとストレートでの攻撃に徹していたことだろう。そうすることで、回転と正確さでは徳山を上回るキリロフのコンビネーションブローに対抗する難事を回避した。このことの意義は大きい。キリロフは前進力のないボクサーではない。柔軟な動きと的確なステップインで、相手との距離をつめることには長けている。そのキリロフが、徳山の右の威圧感で、前進できなくなってしまった。踏み込みがないので、徳山のジャブに合わせてキリロフがカウンターのフックを打とうとしても、射程の合わないことの方が多かった。
しかし11ラウンド、最近の防衛戦ではよくあることだが、徳山が急に失速した。緊迫の距離を保つことに疲れたのか、相当きついはずの減量の影響なのかは分からないが、スタミナには定評があるキリロフが俄然徳山を追い込んだ。だが、ここでこの日最高の右ストレートが挑戦者のアゴを打ち抜く。キリロフはダウン寸前に陥り、このラウンドは徳山のものになった。ダメージが残っていたはずのキリロフが再び12ラウンドも王者を追いまくったことを思うと、あの11ラウンドの右ストレート炸裂は大きな勝負どころだったのかもしれない。好調を取り戻した観のある徳山は勇利アルバチャコフ、さらには具志堅用高に迫る防衛記録を打ち立てつつあるが、減量とスタミナの問題は最大の壁となってきそうだ。
アレクサンデル・ムニョス−小島英次
セレス小林戦で強烈な印象を日本のファンに焼き付けたムニョスだが、ヒザの銃創の影響もあってか、その後は、なんと評価したらいいのか分からない試合が続いている。前回の挑戦であっという間に倒されてしまった小島が再挑戦するのは、十分な意味があったろう。WBC王者は同僚の徳山昌守なのだから、なおさらである。
実際、小島は前回よりもはるかにムニョスの牙城に迫った。なんども王者のプレッシャーと強打にロープ際まで追いつめられながら、勇敢に左ストレートや右クロスをカウンターし、ムニョスの体を前のめりに傾けさせた。
ムニョスは明らかに穴がある。戴冠当初予感された、リカルド・ロペスやウィルフレド・ゴメスといった歴史的名王者の領域は、少なくとも現時点では遠いと言わざるを得ない。たしかに、パンチのタイミングには野生的までの当て勘がひらめている。しかもそのパンチは、ふくらはぎや腰のバネが十分に生きていて圧倒的な破壊力だ。だが、攻め込み方が強引なわりにはスピードがなく、ガードも甘い。回復力はあるが、打たれて強いと言うわけでもなさそうだ。小島が、攻め込んでくるムニョスの打ち終わりに思い切りシャープなブローを打ち込もうとしたのは、適切な作戦だったろう。
しかし、小島はこの攻防の中で、あまりにもガードを軽視していた。いくら速くカウンターを打ち込みたいからといって、猛打者ムニョスにロープ際につめられてなをガードをしないというのは、無茶ではないか。ましてや、小島は一度完膚なきまでにムニョスに倒されているのである。なぜ、しっかりガードをかためたところからショートカウンターを打つというスタイルにできなかったのだろう。ダウンしても立ち上がり、あれだけ頑張れただけに、ガードをしないままムニョスのパンチを受け続けたことが残念でならない(ガードの上から打たれると、腕が死んでしまうから、むしろ顔で受け止めたのだろうか。いや、馬鹿な……)。
ムニョスが今のままなら、早晩きっちり基本を身につけたシャープなカウンターパンチャーに切って落とされるだろう(ヨーロッパにいそうだ)。あるいは、昨日の徳山の右ストレートが、それを実現するかもしれない。ただ、徳山もガードよりは距離感を防御の代わりにするだけに、「ひとつ間違えば……」の心配はある。ムニョスの爆発力は、名護明彦を上回るのだから。実現したら、予断を許さないスリリングな一戦になりそうだ。
ポンサクレック・グラティンデーンジム−トラッシュ中沼
中沼はよくチューンアップされていた。12ラウンドを通じて、パンチにはよくスピードが乗っていたし、ポンサクレックの猛烈な連打、とりわけボディーを襲った右フックやストレートにも平然と耐え続けた。スタミナも十分で、終盤になっても十分にウェイトの乗ったパンチを猛然とぶん回すことができた。
しかし残念ながら、僕たちが夢見ていた「世界戦版のトラッシュ」は見られなかった。相変わらず主武器は大外から叩きつける左フック……。たしかにこのパンチは迫力満点で、角度も多彩、上下に打ち分けもでき、それ自体は「世界レベルのパンチ」かもしれない。とはいえ、このパンチだけで世界王者になろうというなら、ジョー・フレージャー並みに激しく動き、間断なく、変化に富んだ左フックを放ち続けなければならないだろう。だが、中沼はいつものように、ガードを固めて単発のビッグパンチを狙い続けていた。
「夢」を垣間見たシーンもないではなかった。7ラウンド、中沼のワンツーがポンサクレックの顔面を叩き、大きく後退させた。中沼は、アッパーやフックだけでなく、ストレートやショートパンチも速く強い。これだ。僕がながらく見たいと思っていた中沼のボクシングはこれなのだ。大きなパンチだけではなく、ストレートやショート・ブローもまじえて相手を追い込む中沼こそ、「世界バージョン」の彼であるはずだった。10ラウンド、右の鋭いフックでポンサクレックの動きを止めたシーンもあった。このボディー打ち、シャープなワンツー、それに十分に軽快なフットワークがあれば、ポンサクレックにも存分に対抗できたはずだ。実際、ポンサクレックに疲労とボディーブローのダメージが見え始めた終盤は、どんどん両者のボクシングの差は縮まっていった。
だが、いかんせん前半の失点は大きすぎた。2連敗中でも世界挑戦を納得させるだけのパフォーマンスと才能を中沼は見えていたとは思うが、なんだかんだいっても「勝ち」を手にできなかった原因をもっとしっかり把握し、可能な限り克服しておくことも、やはり必要だったろう。中沼には、たしかに天才「的」なところがある。しかし、「本物」になるためには、ジャブ、ワンツー、フットワークといった、基本的な、しかし勝利への王道であるボクシングの要素をもう一度確認するべきではないだろうか。中沼の器量を持ってすれば、それはさほど困難な課題ではないようにも思えるのだが。