サンデー・パンチ
粂川 麻里生
パッキアオ勝利のインパクト
マニー・パッキアオがマルコ・アントニオ・バレラをストップした報を聞いて、いろいろなことを思ったが、「東洋人として快挙だ」という気持ちもあったことは否定できない。戦前は「東洋人」としてのパッキアオを応援するつもりは特になかった。パッキアオ、バレラともに魅力的な個性と高い実力を備えた選手だし、バレラだって、田中繊大トレーナーや本田秀伸を通して、日本人にも親しみのある選手になっている。とくにパッキアオをひいきにする理由は僕にはなかった。それに、正直「どちらが勝つか」という関心で試合を待ってはいなかった。「パッキアオの危険なパンチャーぶりは魅力だが、やはり、バレラはレベルが違う」と思っていたのだ。
しかし、大方の予想を覆してパッキアオが勝利を収めると、あらためて、その快挙が「東洋のボクシング」に与えるインパクトについて考えざるをえなくなった。なにしろ、アメリカ本土で、全米そして世界に知られたスーパースターに勝った東洋人ボクサーなど、過去にほとんど存在しなかったのだ。他に、アメリカ大陸で世界ボクシング史上の重要な試合に「勝利」を収めた東洋人ボクサーといえば、世界ミドル級王者としてヘンリー・アームストロングの挑戦をドローながらしりぞけたセフェリノ・ガルシア、ビセンテ・サルディバルに勝った柴田国明くらいではないだろうか。具志堅用高や張正九、柳明佑、カオサイ・ギャラクシーら偉大なチャンピオンたちの長期政権もあるが、彼らの大記録さえ、インパクトという点では「歴史的勝利」には及ばない(ミヒャルゾウスキの24回防衛をいつまでも覚えているのはドイツ人だけだろう)。それに比較して、パッキアオの今回の勝利は、ボクシングある限り歴史に燦然と輝き続けるはずだ。
逆に言えば、それくらい、東洋人ボクサーは世界の「本当の」檜舞台からは遠いところにいる。中量級以上のボクシングの「本場」はアメリカ合衆国であり、軽量級のそれは中南米(試合開催地としてはやはりアメリカ)というのは認めざるを得ない(しかし、いつも言うことだが、それと世界王座認定団体の権威とは別だ。実際、バレラ−パッキアオ戦にも、メジャータイトルはかかっていなかった)。世界的スーパースター・ボクサーは東洋からはまだ出現していないのだ。
それは、東洋のボクサーの実力が低いことを必ずしも意味しない。たしかに、東洋にカルロス・サラテやウィルフレド・ゴメス級のスーパーボクサーがいたかと言われれば、「うーん」と唸ってしまう面もあるが、具志堅や張、カオサイの全盛期に、彼らをたとえばロスのリングに連れていってアメリカやメキシコの強豪と戦わせたなら、おそらく多くの試合にインパクトのある勝利を収めたことだろう。あるいは、辰吉丈一郎にバレラやジョニー・タピア、ケネディ・マッキニーあたりと対戦する機会が与えられたとしたら、勝敗はともかく、燃え上がるような試合を見せてくれたに違いない。パッキアオは、その実力や勝負強さもさることながら、アメリカでバレラ戦という大試合を戦うチャンスに恵まれたということ自体、特殊な位置に立ちえた東洋人ファイターだ。その存在には、野球の野茂やイチローのような意味合いがあるのではないだろうか。
野球において、野茂英雄を先駆者とする東洋人の台頭が突如起こったように、パッキアオの今回の勝利が、東洋人ボクサーが本当の意味で「世界」のボクシング・シーンに台頭するきっかけとなることを期待したい。パッキアオには今しばらくフェザー級界隈の世界最強ボクサーのひとりとして活躍してもらうとともに、東洋から「第二、第三のパッキアオ」が出現することも望みたい。東洋のボクシングにも十分な歴史と伝統があるのだから、「アメリカン・リングなにするものぞ」という気持ちも大切だろうが、まずは戦って勝つことだろう。21世紀の世界はますます「グローバル化」していくと言われる。それは、かならずしも世界の人々の暮らし方や文化が一様になってしまうことではないだろう。カネや人、そして情報が、国境や地域を越えて自由に流れ出すということであるはずだ。イギリスからは、ナジーム・ハメドやレノックス・ルイスが出現したし、ドイツからもクリチコ兄弟がつまずきながらも攻勢をかけようとしている。彼らはそれぞれの出自の匂いをぷんぷんさせながらも、その存在をより「グローバル」なものにした。東洋からも、「ボクシングの本陣」を攻め落とそうという気概をもったボクサーとマネジャーが出てきてもいいはずだ。たとえば、ウィラポンなどにも、「衰える前に、アメリカで大勝負を」という気持ちがあるらしい。期待したい。
アジアのトップボクサーがアメリカで成功すれば、地元(アジア)でのボクシング熱も上がってくるはずだ。今や瀕死の状態の韓国ボクシング界も、海外でスーパースターになるボクサーが出現すれば、状況が変わってくるかもしれない。もちろん、東洋の国々の間でも、交流がますます盛んになってくるだろう。さらに、先々週本ページで話題にしたように中国も“参戦”するようになれば、ボクシングはいよいよ新しい時代に突入するに違いない。
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粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)
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