サンデー・パンチ
粂川 麻里生
西岡よ、“スーパースター”になってくれ
今日まで大阪で行われている柔道世界選手権は、フジテレビがてこ入れしてずいぶんショーアップされたものになっている。実際、K−1の演出スタッフの手も借りているらしく、会場が暗転してスポットで照らし出された畳の上に対戦する両選手が荘重に現れるなど、派手な演出だ。 強引なまでの盛り上げ方だが、これがうっとうしくならないくらい、大会全体が熱気を帯びている印象だ。柔道発祥の地日本で行われる世界選手権ということで、地元日本選手はもちろん、外国人選手も張り切って戦っているというのこともあるだろう。試合内容も好試合が多く、柔道の弱点である「互いが守りに入ってのポイント争い」になることが少ない。特に強豪同士の対戦で互いにリスクを冒しての一本決着が多く、大変見ごたえがある。 しかし、なんといっても安心して楽しめるのは、100キロ級に出場した井上康生が再び好調を取りもどしていたことが大きい(井上は一時スランプに陥っており、一本勝ちがかなり減ってしまったのみか、昨年度の全日本体重別選手権では鈴木桂治に敗れてしまった)。初日に予告どおり成し遂げた「オール一本勝ちでの世界一」は、「これぞ柔道」というパフォーマンスを最初に存分に見せてくれたという意味で、見るものたちに「興奮」と「心のゆとり」を同時に与えてくれた。徹底した攻撃柔道をそのまま一本勝ちに結び付けてしまう、素人も玄人もともに納得させる試合ぶりは、スポーツを見る快感を存分に与えるとともに、「これだけいいものを見た後は、じっくりいろんな柔道も見てみよう」という気持ちにさせてくれる。 抜群の力量とカリスマを持つスーパースターが存在することは、そのスポーツ全体に様々な好影響を及ぼす。もちろん、その選手を破るためにほかのプレーヤーが努力を重ね、全体のレベルアップにつながる面もあるが、観客に対する影響もある。それぞれのスポーツの魅力を強烈にアピールしてみせることも、「スーパースター」ならばこそできることだ。我々記者やファンがいくら「ボクシングって、面白いんだぜ」と講釈をたれたとしても、実際に心の底からファイトに魅了される経験なくして、それまで無関心だった人がボクシングを楽しむ習慣を持つようにはならないだろうし、ボクシングの細かいテクニックや駆け引きを理解するようにもなるまい。 僕が西岡利晃に期待するのは、「ボクシングの井上」になってもらうことだ。すでに世界戦で2度負けているが、僕の西岡への期待は高まるばかりだ。むしろウィラポンに最初に挑んだときの西岡は、まだ繊細な感受性をもてあまし、「引っ込み思案」なファイトをするほかなかった。2度目の対戦時でも、まだ完成はしていなかったと思う。ここ2年間で戦ったラウンド数が少ないのは気になるが、目に入ってくる映像を見る限り、西岡はついに自分の鋭敏さに負けないだけの技量を身につけたような期待を抱かせる。 井上康生でさえ、調子を落としたときは、投げられるのが怖くて、技を自分からはかけられないようになっていた。名手になる感受性とは、そういうものだろう。だからこそ、技が完成し、「繊細さ」がそのまま「強さ」に翻訳されるようになるとき、「これこそボクシング(柔道)だ」と、初心者からエキスパートまで誰もが熱狂するパフォーマンスが生まれる。 西岡がそういうボクシングをしてくれて、一般スポーツファンの目とハートに火をともしてくれれば、徳山の懐の深さが、本望の技巧が、佐竹のセンスが、心底楽しめる美点として、観戦者の胸に飛び込んでくるようになるはずだ 。
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粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)
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