サンデー・パンチ
粂川 麻里生
2週間で2度痛烈なKO負け……
金曜日に後楽園ホールで行われた真鍋圭太−ムアンファーレッグ・ギァットウイチャーンは、ダウン応酬の末真鍋が4回KO勝ちを収めた。この試合は、ホープ真鍋がタイ王者を迎える冒険マッチとして期待を集めていたものだが、ボクサーの健康管理という点で大きな問題を投げかけるものになってしまった。ムアンファーレッグは、今月6日にタイでラジャダムナン・スタジアムのキックボクシング(ムエタイ)興行のリングに上がり、強打のラジャダムナン王者アヌアット・ゲオサムリットに3回TKO負けを喫していたのだ。
8月6日の試合では、ムアンファーレッグは頭部にパンチを受けて深いダメージを受けた果てに敗れたもので、担架も用意されたほどの痛烈なノックアウトだったという(タイでは、選手の安全のために日本よりは気軽に担架を持ち出すという面もあるのだそうだが)。
JBCルールによれば、「KO・TKOされたボクサーは、原則として90日間を経過しなければ自動的に次の試合に出場することはできない。ただし負傷によるTKO敗者はドクターの診断の結果に基づき、期間を短縮して許可される場合もある」という規定がある。この「KO・TKOされたボクサー」というのは、基本的に国際式ボクシングの試合でのノックアウト負けを意味しているだろうが、ルールの趣旨からいって、ムエタイでKOされた場合もこれに準じるものと考えられよう。
だが、この「8月6日のKO負け」の情報を関係者(コミッション・主催ジム)が得たのは、試合の前日も遅い時刻になってのことだった(同日、本サイトに“RYU”さんが書き込みしてくださったことも、コミッションにはファクシミリで伝えた)。すでに計量もドクターチェックも終わってしまっていた。今年3月の鈴木悟−保住直孝戦が一週間前にキャンセルになった時も、いろいろなところから摩擦音が聞こえてきたものだが、試合を土壇場でキャンセルすることは業界の“良識”からすれば非常にまずいことである。まして、ドクターチェックまで済ませてから「試合中止」を宣告することは部外者の想像を超えて難しいことであったのだろう。業界内でも、ファンのサイトなどでも、強く「中止」を求める声もあがってはいたが、結局試合は挙行された。
JBCも、苦悩の中で可能な配慮はしてくれた。レフェリーには「ダメージが見られたら早めのストップを」と要請していたようだし、試合終了後はすぐにドクターチェックを受けさせた。現時点では、さいわいなことにムアンファーレッグ選手の体調の異常は伝えられていない。(写真は真鍋に倒されたムアンファーレッグ)
しかし、「経過」はある程度の期間にわたって、専門医によって慎重に見守られるべきだ。業界の論理、コミッションの「権限」論はあるにせよ、人道的見地から言えば(したがって理想論かもしれないが)やはり本来行われるべきではなかった試合を挙行した以上、関係者にはその義務があるだろう。
昨年12月にも、タイ国バンタム級チャンピオン、ヨドシン・チュワタナ(タイ)が、後楽園ホールで池田光政に4回KO負けした翌日に帰国し、4日後に倒れ、翌々日に死亡(死因は脳挫傷)するという事故がおこっている。日本で安静にしていれば死ななかったかもしれないということで、KOされた翌日に帰国させた関係者の責任を問う声も上がっているが、明らかに異常が見られれば無理に帰国させたはずもなく、おそらくKOされたわりには(見かけは)元気だったのだろう。いくらボクシングではトレーナーやマネジャーでも、医学の素人に「脳挫傷」を見抜け、というのは酷だ。ただ、あんなことがあってわずか8ヵ月後に、今回のような試合が行なわれてしまったことは、重く受け止めねばならない。無論、KOされた外国人選手にいままでよりも精密な医学的チェックを受けさせるシステムを作ることは検討されるべきだろう。ボクサーの脳のダメージと、飛行機旅行による気圧の変化の関係も研究してもらいたい。
アジアの国々からは、(ムアンファーレッグやヨドシンは違うが)「負け役」を期待されて呼ばれる選手も少なくない。だが、ボクシングで負けるということは、たくさん打たれるということだ。しかも、彼らの出身国の健康チェックは日本と比べればルーズである場合が多い。しかし、そんなのんびりした気質の南国の人々でも、家族や仲間が死んだら悲しむのは一緒に決まっている。遠隔から招聘する選手の体調チェックには、より細心の配慮が望まれる。
体調だけではない。今回のケースでは、「ムエタイの試合」という国際式ボクシングではないスポーツの記録チェックが盲点となった。しかし、後から調べてみると、業界内にはちらほらと、「8月6日のKO負け」について以前から知っていた人がいたのである。しかし、そういう人々に限って、「いやあ、無茶なことするなあ、大丈夫かなあ、と思ってたんですよ」などと言ったりする。
呑気はご愛嬌の場合もあるが、ことは人命にもかかわるかもしれないことだ。一部情報によれば、ムアンファーレッグ陣営は8月6日にKOされた段階で「日本での試合はキャンセルしよう」という意向をかためていたらしい。2週間のうちに強豪2人と戦う予定を組むというのが無論そもそも問題だが、違約金を払っても、この試合にでるべきではなかった。「キャンセル」の意思はどこで止められてしまったのか。業界やボクシング関係の皆さんには、ボクシング以外の事故等でも、選手の健康についての情報には敏感になっていただく必要があるだろう。頭部を打撃する格闘技である以上、ボクシングから死亡事故を完全になくすことはできないだろう。けれども、それをできるだけゼロに近づけるために、僕らにできることはまだある 。
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粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)
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