本当の“新井田時代”の予感
残念ながら新井田の王座復帰はならなかった。僕は、昨日が本当の新井田の時代の始まりになるような気がしていたのだが、やはり2年ぶりのカムバック即世界挑戦というのは難しかったようだ。後半アランブレットが疲れたところで勝負というのは青写真通りだったが、前半のポイントをあまりにも容易に与えすぎた。「勝負勘」のようなものが鈍っていたのだろう。 それでも、新井田はあらためて非凡な才能を証明して見せたし、今回の試合ではこれまでにない力強さも見せたのではないだろうか。僕は、あらためて期待を抱いた。 僕も、新井田が初防衛もせずに「引退」したときは、しらけた。「なんだ新井田は。世界チャンピオンが、一度も防衛せずに引退するなんて、約束違反だ」と思った。選手権者、すなわち「チャンピオン」というのは、選手権試合を主催する権利があるボクサーのことで、この権利には「義務」も付随していると思うからだ。 僕の解釈では、たとえタイトルマッチで挑戦者が勝っても、そのリング上では最後まで「前チャンピオン」がチャンピオンだ。タイトルマッチの主宰者たる「チャンピオン」は、ベルトを締めて、ベルトを賭けてリングに上がってこそチャンピオンなのである。初防衛戦のリングに上がるときにこそ、はじめて新チャンピオンが誕生するのだ(たとえ初防衛戦で敗れてもだ)。その意味では、新井田はまだチャンピオンではない。 これは、僕の勝手な解釈だが、新井田はチャナに勝ったとき、まだ自分が本当にチャンピオンたりうるだけの実力がない、と心のどこかで思ったのではないだろうか。本当のチャンピオンの力、つまり、世界の誰が挑戦してきても、それを受け止め、跳ねかえすだけの底力が自分にないという不安にとらわれはしなかったか。僕は、あのまま「チャンピオン」を続けていたら、早晩「未熟さ」をさらけだして完敗、もしくは惨敗を喫したような気がする。当時の新井田は才能は素晴らしいが、心技体とも、まだチャンピオンらしい成熟に達していないような印象があった。それゆえの不安感が、あの「引退」の背景にはあったような気がしてならない。 1960年、世界一のピアノ・コンクールであるショパン・コンクールで、わずか18歳で(しかも満場一致で)優勝したマウリツィオ・ポリーニは、名声の絶頂にあって、雲隠れしてしまった。「名声と注目に値するだけの演奏力」を身につけるために、人前ではまったく演奏せずに数年を沈黙のうちに過ごし、やがて本当の「世界一のピアニスト」になって帰ってきた。まあ、新井田は「真の世界一」になるために引退していたわけではないだろうから、ポリーニと比べるのはちょっとやり過ぎかもしれないが、それでも僕はどこか似たような雰囲気を感じてしまうのだ。新井田の前回の成功は、いかに彼が天才とはいえ、早すぎ、大き過ぎたのではないか。新井田はボクシングを嫌いなわけでもまして馬鹿にしていたわけでもないはずだが、大き過ぎる成功、高過ぎる地位から一度離れたくなってしまったのではないだろうか。 それにしても、世界王座をあっさりと放棄してしまったのは、「プロボクサー新井田」としては、明らかに大きな失点だった。世界のベルトを簡単に捨てることのできるボクサーには、ファンが思い入れを持つことは難しいだろう(リディック・ボウは、3つ持っていたベルトのうちWBCのベルトだけをゴミかごに捨てたのだが、これで彼が失ったファンの支持は大きなものだった)。新井田は大変な才能の持ち主だが、今後ボクシング・ファンのハートを本当につかむには時間がかかるだろう。 それでも、僕はやはり彼に期待したい。新井田ほど(近い将来の)グレードの高いボクシングの完成を予感させるボクサーは、日本には何人もいるわけではない。それに、今回のアランブレット戦に向けて新井田は、顔つきも、体つきも、前回タイトルを奪取した時と比べても明らかにたくましく、男っぽくなっていた。ブランクの間に、新井田はボクサーとしてむしろ成熟したのではないか、そう思わせるだけの雰囲気が漂っていた気がする。 たしかに、新井田はクールすぎる。横浜アリーナのような大会場で大向こうの共感を一心にひきつけるようなファイターではない。しかし、このアンファン・テリブル(恐るべき幼児)こそは、リカルド・ロペス以来の「王朝」をミニマムに築く可能性を秘めていると思う
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