サンデー・パンチ

粂川 麻里生

世界戦で飛躍するボクサー 

 76年2月、ジャン=ピエール・クープマンとの防衛戦を間近にした世界ヘビー級王者モハメド・アリに、ある記者が質問した。「前回の防衛戦、マニラでのジョー・フレージャー戦は大変な激闘でしたね。それに比べれば、今回のクープマン戦はだいぶ気が楽なのではないですか」。アリは目をまん丸にして答えたという。「君は、世界ヘビー級チャンピオンというものがどういう仕事かわかっていないから、そういうことが言えるんだ。世界チャンピオンのベルトを目の前に見せられて、死に物狂いにならないボクサーなどいない。私に向ってくる挑戦者は、いつだって『モハメド・アリを倒して、偉大なボクサーになろう』という野望に満ち溢れているのだ。毎回そういうボクサーを相手にする私のプレッシャーを想像してみてくれ。まして、クープマンは欧州チャンピオンだ。私は彼を恐るべき挑戦者だと思っている」。
  もちろん、こういう発言には、無名の挑戦者を迎えた興行を盛り上げようとするアリ一流のショーマンシップもあるだろうが、“チャンピオン”の本音もあったように思えてならない。実際、「世界中のボクサーに首をB狙われているプレッシャー」を口にする王者は多い。自分を打倒することを夢見ているボクサーが世界中にいるという状況は、常人には想像もつかないプレッシャーだろう。
 そして実際、アリが言ったとおり、世界チャンピオンのベルトを目の前にして死に物狂いにならないボクサーはいない。むしろ、世界チャンピオンになれるボクサーの多くは、「世界戦」という、いわばボクシングの試合の中でもきわめて特殊なシチュエーションの中で“火事場の馬鹿力”的な能力を発揮できる選手たちだと言えるのではないだろうか。
  近年僕たちが目にした日本人世界王者たちの多くは、そのキャリアの初期においてはそれほど注目を浴びていなかった選手だちだ。いや、世界挑戦においてすら、完全なアンダードッグだった選手も少なくない。佐藤修、セレス小林、星野敬太郎、そして徳山昌守。いずれも、「国内レベル」の試合をしていた時は、言ってしまえば「それなり」のボクサーでしかなかった。しかし、世界チャンピオンと相対したとき、彼らは一気に飛翔を遂げて、「チャンピオン」にふさわしいボクサーになったのだ。逆に、西岡利晃、名護明彦といった、「世界の器」と期待されたボクサーたちが、現時点ではまだ栄冠をつかんでいない。
  タイトルマッチ、とりわけ世界タイトルマッチのリングで、ボクサーはしばしば奇跡的な成長を遂げる。その意味で、「世界王者」は今も昔もおそろしくハードな仕事だ。「世界タイトル認定団体が増えて、世界チャンピオンのレベルが下がった」という人もいるが、それは一面の事実でしかあるまい。たしかに、「ヘビーはアリ、ミドルはモンソン、ウェルターはナポレス、ライトはデュラン」という時代があった。あの頃と今では、「世界」の意味合いが違うのは事実だ。「世界チャンピオン」はいま、「世界一強いボクサー」のことだとは言い切れない。しかし、「世界中から狙われている」存在として、世界チャンピオンはやはりきわめて特殊な状況にあるボクサーだ。そして、そういう特別なプレッシャーだけが、ボクサーにある飛躍を可能にするのではないだろうか。
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 明日は注目のダブルタイトルマッチ。2人の日本人挑戦者のうち、上述の意味で僕が注目するのは川島勝重だ。これまで川嶋が証明した限りの実力では、徳山昌守の牙城は揺るぎもしまい。徳山が川嶋の手が届かないロングレンジから、鋭い右ストレートをぽんぽんと決める図は容易に想像かつく。しかし、日本王座を奪えずにいた頃の徳山を見て、今日の、「具志堅」や「勇利」、「渡辺二郎」の領域に迫ろうという姿を想像できたウォッチャーがどれだけいただろうか(相当レベルの素質は認めえたかもしれないが、ボクシングにおいて「素質」と「実力」はまったく違う次元にある言葉だ)。今度は川嶋が「化ける」番かもしれない。大橋会長は、「よく、世界戦のチャレンジャーはいつもの30%増しの力を出すと言うけど、川嶋は今150%だよ」と言っている――。(写真は、学生時代にアリを訪ねた時の筆者)

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