サンデー・パンチ
粂川 麻里生
日本ボクシング界最高のカードは……
現在の日本ボクシング界で、一番熱狂を呼びうるカードはどんな顔合わせだろう。星野敬太郎対新井田豊? なるほど世界統一戦でぜひ実現してほしい対戦だ。長島健吾対本望信人? うん、日本中量級最高のテクニシャンを決める試合になるだろう。仲里繁対石井広三? うーん、見たい。ほぼ間違いなく壮絶なKO決着となるだろう。佐竹政一対佐々木基樹、本田秀伸対対ラッシュ中沼も見たい。 しかし、あらゆる点から見てもっともエキサイティングなカードと言えば、辰吉丈一郎対西岡利晃でとどめを刺すのではないだろうか。この両雄の組み合わせほど、面白い試合になる要素がつまったカードは現在の日本にはおそらくない。両者ともに、スピード、パワー、テクニックすべてに最高度のものがあるだけでなく、そのスタイルもまた、観客をしびれさせる要素に満ちている。それぞれのスタイルで爆発的な攻撃力を発揮するだけでなく、そのファイトに知的な組み立てを見せる2人がリングであいまみえれば、ボクシングの醍醐味が全方位的に放射されるような試合になる可能性が十分だ。 同じ「帝拳グループ」に属する、ある意味では「同僚」の両者だけに対戦が実現する可能性は高いとは言えないのかもしれない。だが、一応は別のジムでもあるし、近い将来(どちらが挑むにしても)実現するだろうウィラポンへの再挑戦に関しても、辰吉と西岡は利害が正面からぶつかり合うライバル同士だ(西岡が体調不良でウィラポン挑戦を延期すると発表したとき、僕はてっきり辰吉に順番を譲ったのだろうと思った)。「世界挑戦者決定戦」としてであれ、それこそ世界戦としてであれ、この両者が雌雄を決すべき理由はある。カード自体が「当代最高」のものである以上、帝拳プロモーションの興行企画次第では、この“スーパー・ファイト”も実現しないとは言い切れまい。 ある日、記者仲間と会っているとき、僕が「やっぱり、辰吉−西岡戦が見てみたい」と言ったら、ある人に「酷なことをいうなよー」と言われた。「酷」とは、「せっかくカムバックして、セーン戦のような絶妙のマッチメークで戦線に復帰した辰吉に、国内の後輩が引導を渡すのは……」ということらしい。しかし、そんなに「酷」な話だろうか? 辰吉は今でもやっぱり結構強いのではないか。たしかにウィラポンには2度失神KOを食った。試合内容も悪かった。しかし、あれはひとつにはウィラポンの強さ、もうひとつは、それでもどうにかして勝とうとした辰吉のオーバーワークと無理な戦術(さらに、第二戦においては強引過ぎた再戦のタイミング)によるものではないか。いくらセーンが落ちていたとはいえ、ブランクがありながらあのボクシングができるボクサーを、僕は「弱い」とは言えない(僕は、ブランクのある辰吉をいきなり現役世界ランカーのセーンにぶつけるのは大反対だった。けれども、辰吉は予想をはるかに上回るファイトを見せたのだ)。 それにしても、辰吉ほど繰り返し繰り返し「もう駄目だ」と言われたボクサーは稀だろう。それはひとつには彼が敗れても敗れても不屈にも(未練がましくも?)カムバックを続けたからだろうが、他面では辰吉のボクシングを多くの人が誤解していたからでもある。デビューしてからリチャードソン戦で最初の世界王座を奪取するまでのわずかな期間で辰吉が発したインパクトがあまりに凄かったものだから、辰吉のポテンシャルに対する“信仰”が広まりすぎたような気がする(僕自身、多分にその“信仰”を共有していたと思う)。いわく、「リチャードソン戦までの辰吉は、日本ボクシング史上最高のファイターだった」、「しかし、あまりに性急なマッチメークと網膜剥離によるブランクが、彼に自分のスタイルを完成させるチャンスを奪ってしまった」、あるいは「本当は、辰吉の目はもうあまり見えていない」、「かつてのような、左右に体重をシフトしてのマジカルな前進攻撃はもう見られない。今の辰吉は強打者だが凡庸なファイターだ」などなど、“辰吉=凋落天才説”はしばしば聞く。 しかし、それなら“マスターピース”とされるリチャードソン戦、あるいはアブラハム・トーレス戦のビデオを見返してもらいたい。セーン戦の辰吉とどれくらい違うのか、冷静に分析してもらいたい。実際には、「体重のシフト」や「前足のバネを生かした天才的な踏み込み」が見られたのは、チューチャード・エアウサンパン戦や岡部繁戦など、国内・アジアレベルの強豪相手までだ(それだって十分“天才的”だが)。世界レベルと戦うようになってからは、「のしのし」と歩いていって、得意の打ち合いに持ち込む肉弾戦法がその戦術の中心にあることに変わりはない。パショネス戦やソーサ戦はテクニシャンぶりも見せたが、それは彼らの攻撃力がS・フライ級レベルだったので、余裕があったのだ。辰吉の強さの本質は今も昔も、接近戦において強くて多彩な連打が打てることと、非常にタフであることではないだろうか。そう考えれば、辰吉は「以前からこの程度だった」とも言えるし、逆に「今なお“辰吉”たりえる」とも言える。 一方の西岡も、ジムでは早くから「天才」と言われていた俊優だ。しかし、ウィラポンとの初戦ではやられないのが精一杯だった。一年後の再戦で、ようやくそのポテンシャルを世界戦レベルでも発揮できるようになってきた。肩や肘のバネとスナップがよく効いた強烈なブローが、慎重なアウトボクシングの中からでも随時爆発できるようになってきた(一時は、“逆転KO”の形しかとれないような時もあった)。 辰吉をすれ違いざまにKOできる日本人ボクサーがいるとすれば、西岡くらいのものだろう。逆に、西岡の懐の深い才能を追いつめ、そうすることで開花させることができるのは、やはり辰吉の分厚い攻撃ファイトの暴風しかないのではないか。辰吉には今なおそれだけの力はあるはずだ。両者は現在の日本で最高のバンタムウェイトであるだけでなく、スタイル的に大いに噛み合い、薬師寺―辰吉戦をも上回るスペクタクルを十分に期待できる。 その上、ボクシング・ファンの嗜好は微妙に変ってきている。「外人」に勝つことが一番嬉しいことだった時代は確実に去った。同じレベルなら、本来は、よく知っている選手同士の対戦こそ面白いのだ。真に世界レベルの実力者が国内に複数存在するならば、日本人同士の対戦こそが最高のドリームファイトになるはずだ。 実際、日本のバンタム、S・バンタムには、佐藤修や戸高秀樹、仲里繁らもいる。こんなビッグタレント同士の対戦を温存、もしくは回避してしまうなら、日本ボクシングはひとつの黄金期を現出するチャンスを逸することになるかもしれない。
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