夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
柴田国明さん
ヨネクラジムで初めて世界チャンピオンになったのは柴田国明さん。最初はフェザー級、後にスーパー・フェザー級に上げて2度。計3度世界の王座に就いた。3度世界チャンピオンになったのは、国内ではスーパー・ウェルター級輪島功一(三迫)とバンタム級辰吉丈一郎(大阪帝拳)、それに柴田さんの3人だけ。輪島と辰吉は同一階級、柴田さんは2階級にまたがっての快挙である。
柴田さんが敵地でビセンテ・サルジバル(メキシコ)を13ラウンドTKOに
破ってWBC世界フェザー級タイトルを奪取したのは1970年12月。これは西城正三(協栄)が最初に海外世界タイトル奪取を成し遂げた2年後のこと。柴田さんがチャンピオンになった時点で、西城はWBAフェザー級王座に君臨しており、2つの世界機構の同級チャンピオンが並び立ったのである。
当然、統一戦が関心の的になった。互いに対戦を拒否するコメントを出したことはないが、ともに相手の強さを認める両陣営が、ここでつぶし合う必要はないという観念を共有していたのではないかと思う。柴田さん側米倉健志会長も、西城側金平正紀会長も、対戦を厭わないとしながらも、積極的な動きをしなかった。
当時、私はボクシング担当になって3年目。先輩記者のサブだった。後に1本立ちして、他者の記者とつるんで、金平会長をたきつけ、特だねを抜きまくったことを、反省を込めて書いたことがある。反省しながら言うのもなんであるが、当時、金平会長をおだててその気にさせる記者がいれば、例え“ウソから出た真実(まこと)”にしても、柴田−西城戦は実現していたかもしれない。
柴田さんがメキシコで世界タイトルを獲る8日前、国内では金平構想に基づく大変な試合が行われた。WBA世界ジュニア・ライト級(現スーパー・フェザー級)チャンピオン小林弘(中村)対西城の世界王者同士のノンタイトル戦(小林の判定勝ち)である。
小林側中村信一会長の度量の大きさもあって実現した、国内史上唯一の世界チャンピオン同士によるノンタイトル戦であるが、これは勝敗を抜きにした黄金のマッチメークとして語り継がれている。架空の柴田−西城戦を予想した場合、漠然とKOなら柴田、判定なら西城という観念が浮かび上がるだけで、それを肉付けるストーリーは、思いも及ばない。ただ、この1戦を歴史に刻んで欲しかったという思いや切なるものがある。
勝敗にこだわるものではない。選手同士も互いに全力を出し切った結果には、恨みつらみを持たないと聞いている。件の世紀の1戦にしても、敗れた西城に対して、勝った小林と同等の評価をするマスコミ人は、私の他にも沢山いるのだ。強さともろさを合わせ持った柴田さんは、好敵手西城相手なら、名勝負を残してくれたと思う。
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