夢かうつつか、酔いどれ記者が行く  芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』


 久保明子さん

 三迫ジムの女傑マネ

 三迫ジムが生んだ世界チャンプ3人衆の思い出を綴ってきたが、彼らを支えた女性マネジャー久保明子さんの存在は、実に大きい。女性マネジャーといえば“和製イートン夫人”とも呼ばれる帝拳の長野ハルさんが経歴、実績、知名度ともbPであるが、久保さんはこれに次ぐ存在だ。ちなみにイートン夫人というのは、かつてボクシングのメッカだったロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムを舞台にらつ腕を揮った名物女性マネジャーのことで、生前日本に来たこともある。
 さて、とかく名前にこだわる当コラムにふさわしいクイズを出そう。久保明子。この姓名を正しく発音していただきたい。久保はクボ以外に考えられない。クイズに出す以上ワナがあり、それは明子だろうと、明敏なあなたは推察する。十中八、九の人がクボアキコと答えるところ、奇をてらってあなたはクボメイコと読む。これが正解なのだ。名前をつけたであろう久保さんの父上と正解を出したあなたは、ちとばかりヘソが曲がっていないか。いや、そうではなく、多分、博学なのだろう。試みにこのパソコンで「めいこ」と入力して変換したら、まぎれもなく明子も表れ出た。
 明子の明は聡明の明である。ボクシングという荒くれ男の世界で、女性がビジネスで対等に互していくには、男勝りの気性が不可欠であるが、一番大切なのは会長の智恵袋としてのアドバイスではないかと思う。今でこそボクシングのビジネスは比較的スマートになったが、昔は穏当でない裏契約が試合にからんだりして、やっかいだった。それを乗り切った長野さんや久保さん。ただ者ではない。
 輪島功一が入門した昭和40年代の初期、三迫ジムは江東区塩浜にあった。1人居残り練習を終えた輪島さんに、取っておきのビールを半分ご馳走になった話は、彼の項で書いたと思う。当時、久保さんにジムであった記憶はないが、すでにマネジャーとして在籍していたはずだ。
 輪島さんが現役の時に、ジムは塩浜から板橋区の大山に移転した(現在は練馬区北町)。久保さんにまつわるそのころの思い出はある。大山にジムを構えてから、三迫ジムは合宿制度を設けた。有望な選手10人程度をジムが準備した合宿所で共同生活させていたのだ。仲間の目があるから、朝のロードワークなどをさぼれないのが合宿のミソ。久保さんには合宿生に夜食をこしらえてあげるという女性らしい仕事があった。久保さんとはよく麻雀卓を囲んだものであるが、佳境に入っている時「私、食事の用意があるのでこの辺で」と、席を立たれる度に、切ない思いをしたものである。大抵が勝ち逃げなのだ。
 そう、われわれ素人雀士の中にあって、久保さんはなかなかの打ち手である。男勝りであることは間違いない。少なくとも私は、久保さんに対して分が悪い。もう1つ、ゴルフにおいても、今や歯が立たないのが、相手が女性だけにことさら悔しい(女性蔑視かな?)
 ゴルフで初手合わせして20年以上経つのではあるまいか。チョコレートを賭けて、最初はハンディを与えていた。それが1つ減り、2つ減りしてスクラッチに。敵が男と同じティグラウンドを使っても勝てない。しまいに「芦沢さん、ハンディやりましょうか」と言われた。男の意地でそれは断った。ついでに握り(賭け)も辞退した。何が男の意地だ。ともかく勝負事で久保さんには勝てない。

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