夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
友利正さん
三迫ジムは輪島功一、三原正と2人の重量級(スーパー・ウェルター級)世界チャンピオンを出したが、3人目は一転して軽量級(ライト・フライ級)の友利正だった。三原正と友利正。三迫ジムにあっては、正が世界王座に結び付
く。今、三迫ジムで4人目の期待がかかるのは、バンタム級相沢国之であるが
“2度あることは3度ある”を頼りに、リングネームを相沢正に変えたらどう
か。
もちろんこれは冗談。名前で世界タイトルが取れるなら、私でも取れるわけ
だ。具志堅とか渡嘉敷の姓は、すぐに沖縄を連想させる。友利姓も沖縄に多
い。で、世界チャンピオン友利も、まぎれもなく沖縄県人である。沖縄は県別
最多の6人の世界チャンピオンを輩出しているが、友利さんは“4男坊”にあ
たる。
南国気質というのがある。よくいえばおおらか、悪くいえばアバウト過ぎる
性格と解釈している。6人の沖縄チャンプの中で、もっとも南国気質が出てい
たのが友利さんだ。具志堅さんのように、闘志をぎらつかせることなく、のん
びりと構えていた。
負けても悔しさを表面に出さない。世界チャンピオンになるまで5敗してい
るが、この中には実力ではなく、根性で負けた試合もあった。WBC世界ジュ
ニア・フライ級チャンピオン、アマド・ウルスア(メキシコ)への挑戦(82年
4月)が決まった際、三迫会長は愛弟子を勝たせるための一計を案じた。
それは弱気を克服して、勇気を持って戦うための精神改造だ。ただ厳しくす
れば精神力が強くなるというほど単純なものではない。三迫会長の手に余る命
題だった。思い至ったのが禅修行だ。住職が会長の友人である禅寺(長野で
あったか甲府であったか)で、友利さんを修行させたのである。
効果はてきめんだった。予想を覆して友利さんはウルスアを文句なしの判定
で破り、三迫会長に世界チャンプ3人製造の栄誉をプレゼントして、恩義に報
いたのだ。世界の頂点を極めた感想がふるっている。「オレみたいなのが、世
界チャンピオンになっていいのかな」。人のよさ丸出しだった。
友利さんが初防衛戦で、イラリオ・サパタ(パナマ)に敗れた1戦は、気の
毒としかいいようがなかった。変幻自在に動くサパタを友利さんは、愚直なま
でに前に出て追いまわした。有効打(友利)かヒット数(サパタ)かを勘案し
て、私は友利さんが勝ったと見た。現実はスプリット・デシジョンでの判定負
けである。
三迫会長がWBCに提訴して、再戦が認められたことからして、この1戦の
採点は?の付くしろものだったと理解してもいいだろう。罪なのは、この疑惑
の採点が、友利さんのモチベーションを、完全にスポイルしてしまったこと
だ。
「あれで負けるんなら、オレには勝つ術はないよ」と投げやりになり、リ
マッチで無謀に突貫を試み、無惨な7ラウンドTKO負けを喫した。この
試合に臨むにあたって、禅寺で心に得たものは、空になっていたと思う。完敗
した友利さんを、とても責める気になれない。
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