夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
セレス小林さん
人当たりのよさと壮絶ファイトが両立
国際ジムにロイヤル小林以来25年ぶりに、またも小林姓の世界チャンピオンが生まれた。WBAスーパー・フライ級のセレス小林である。4半世紀の時空を経ているので、2人の間に接点はない。 これまで日本のジムから、輸入外国人ボクサーを除いて44人の世界チャンピオンが出ている。原田、工藤、渡辺、浜田、大橋、川島、飯田、山口、佐藤といったポピュラーな姓が並んでいるが、いずれも1人きり。小林姓だけは国際ジムの2人のほかに(国際ジム所属の世界王者にはもうひとり、レパード玉熊がいる)、小林弘(中村)と小林光二(角海老宝石)がいて都合4人。ダントツである。世界チャンピオンを目指すボクサーはリングネームを小林にしてはどうか。
酔いどれらしく、いきなり話が脱線したが本筋に入ろう。セレスを語るにあたって、最初に挙げたいのは、人当たりのよさである。元々はフライ級、世界はスーパー・フライ級に上げて取ったが、どちらにしても減量に苦しんだのは、ボクサーの宿命だ。試合直前になると、口もききたくなくなるのが普通であるが、セレスは違った。苦しさを内に秘めて笑顔でマスコミに接したのだ。
世界チャンピオンになるようなボクサーは、おおむね我が強く、マイペースを貫く。嫌なら嫌と態度に出る。試合直前の緊張した練習の後、世界チャンピオンに気安く話しかけることなどできない。しかしセレスは構えたところが全くないので、取材陣が入れ替わり立ち代り話しかけていた。気持ちよく応じるセレスを見ながら、こんなに円い人間が、果たして世界チャンピオンになれるだろうかと、疑問に思ったものである。
最初の世界挑戦はフライ級(00年8月)。マルコム・ツニャカオ(フィリピン)と引き分ける善戦は意外だった。善戦どころか、韓国のふざけたジャッジがスコア誤記をしなければ、勝っていた試合だから、われわれマスコミも怒り心頭だった。ここでも至極穏やかだったのはセレス本人だ。
歯がゆい思いをさせたセレスが、翌年3月、1クラス上げてWBA王者レオ・ガメス(ベネズエラ)を10ラウンドストップに破って念願のベルトを獲得した1戦には、われわれも快哉を叫んだものだ。マスコミ有志がジムの近くの焼肉店で祝勝会を開いた。家族パワーを勝因に挙げるセレスに応えるべく、奥さんと幼い長女の柚香ちゃんも招いた。セレスでなければ実現しない一席ではあった。
セレスは王座を1度守っただけで、怪物アレキサンデル・ムニョス(ベネズエラ)に屈するが、その散り方が見事だった。21戦オールKOのムニョスとはWBAの指名により、避けられない対戦だった。「家族の前でみじめに逃げる姿は見せたくない」と宣言したセレスは、言葉通り倒されても倒されても挑みかかり、8ラウンドまでに5度倒されて力尽きた。あの優しいセレスが…。この感動もまたボクシングの妙味だ。
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