夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
海老原博之氏
ボクシング界「三大酒豪」の1人
気風のよさが印象的だった・・・
故海老原博幸の法要の席で、絶縁状態にあった金平さんと私が握手。亡き海老原氏が和解の仲介をした形になったことを前回に書いた。それはたまたまの図式であって、海老原氏があの世からわざわざ私に助け舟を出してくれるほど、親密な関係にはなかった。 海老原氏が全盛を誇った時期にボクシングを担当したのは、われわれより1世代前の記者たちである。デイリースポーツにおける私の前任者は朝熊伸一郎という、ちょっとあわて者ながら、人情味のある名物記者だった。2人が顔を合わせると、海老原氏は「クマさん」と呼びかけて、心を割って話をしていたものである。 海老原氏の現役ボクサー最終章のころ、私は朝熊記者の下で、使いっ走りをやっていた。1人前ではないので、海老原氏の試合をきちんとした形で取材したことはない。“カミソリパンチ”と称される天与の武器がありながら、利き腕の左コブシ骨折が慢性の悪習となり、それが原因で落した世界タイトルマッチが1度ならずあったという、栄華と悲運を表裏に併せ持ったボクサーだったらしい。 引退後の海老原氏とは何度か酒席を共にしたことがある。ある時、ともに“フライ級3羽ガカス”と言われたファイティング原田氏を交えた十数人の会合があった。原田氏は1滴もアルコールを飲まない。一方の海老原氏はメートルが上がりっ放しだ。 両氏は東日本新人王トーナメントの決勝で対戦して、原田氏が勝った過去があるが、その会合では気炎を吐きまくる海老原氏の“判定勝ち”だった。歯に衣を着せず、言いたいことを吼えまくる姿は、まさに天衣無縫だった。言うだけでなく、やることにも同様だったらしい。朝熊記者に聞いた話であるが、金平会長に対して、平然とファイトマネーの前払いを要求していたことがあったそうだ。 伝聞をもとに、私が頭に描くボクシング界の歴代3大酒豪は沢田二郎、青木勝利、そして海老原である。青木はアルコールドランカーになって、入院生活をしているという風聞が伝わって来たことがあるが、その後は消息不明だ。沢田はすでに病死しているが、死因はアルコールの過飲による肝臓病と聞く。 60歳の声を聞かずに早死にした海老原氏も、元凶はアルコールだった。先の原田氏を交えた会合でも、身を案じて酒を控えるよう忠告する人がいた。うなずいてはいたが、心中は馬耳東風であることが手に取るようにわかった。私自身がそういう経験を何度もしているからだ。 「なるようになるさ」。飲んだくれてくたばるのは潔しとしないが、楽観主義に逃げて行くのが私のようなアル中だ。海老原氏も同じような考えであったような気がしてならない。最後の最後に断酒したとのことだが、体がアルコールを受け付けなくなっただけのことかもしれない。浅く短い接点であったが、気風のよさが強い印象に残る。酒に任せて、自分の命まで気風よく投げ捨てるとは…。実に切ない。
(写真:具志堅用高夫妻の結婚披露権にて ファイティング原田氏[手前]と海老原氏[奥])
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