夢かうつつか、酔いどれ記者が行く
芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』
金平正紀会長
老獪プロモーターとマスコミの「もたれ合い」
金平正紀前協栄ジム会長は、具志堅が防衛を重ねるにつれて、2つに分裂した協会の一方の旗頭として、確固たる立場を築いていった。他方の協会からは快く思われていなかったが、そんなことを問題としないで、ひたすら自己の勢いをつけていった。「太陽は私を中心に回っているんだ」。こう豪語したこともある。 当時、協栄ジムは代々木に道場があり、後楽園に隣接するビルの1フロアにプロモーションがあった。協会の事務局を兼ねるこのプロモーションの会長室で、金平さんは多忙なビジネス生活をしていた。元々、マスコミ操作はうまかったが、ビジネスに老獪(ろうかい)さが加味されるにつれて、マスコミ対策も巧妙になった。 そんな中で、持ちつ持たれつの関系が出来上がった。金平さんはマスコミを利用する。私たちも金平さんを利用する。なにしろ協栄プロモーションはニュースの宝庫だった。私たちは毎日のように金平詣でをして、ニュースをもらったものだ。 そのうち、スポーツ6紙でニュースを共有したのでは面白くないということで、私を含む3紙の記者が連合して、協栄がらみの特種を抜きまくるようになった。半分は信憑性のあるニュース。半分はでっち上げだった。 仲間の1人に発想力の豊な記者がいた。彼がニュースを“製造”して金平会長に諾否を問う。たいがい金平さんは「おっ、それは面白い。それいきましょう」と乗ってきた。そんな調子である時、ヒスパニック系現役のスーパースターが、トレードで協栄ジム入りとの記事が、わが社の1面を飾ったことがある。 無理な話とは分っていたので、良心が痛んだ。それを機に「もうニュースを作るのは止めよう。少なくともオレは降りるよ」と頭脳明敏なニュースメーカーに、連合脱退を通告した。以後、ファンのド肝を抜くような目先だけのニュースは出なくなった。 やりたい放題のことをやってきた3社連合が、後で痛烈なしっぺ返しを食うことになった。具志堅の防衛回数が10回を超えて、人気絶頂の最中、サンスポと東スポが婚約者の存在を特種で報じたのだ。具志堅のボクシングへのモチベーションが薄れることを恐れて、金平さんは歓迎しないようだったが、理由もなく別れさせるほど冷酷でもなかった。 2紙に抜かれた翌日、スポーツ全紙が確認のため協栄プロモーションに集まった。金平さんは事実を否定しなかった。解散後、3社連合では暴れん坊に分類される記者が「どうしてわれわれに教えてくれなかったんだ」と自棄酒も手伝って、金平さんに食ってかかった。「この話は壊してしまえ」と言うのだから乱暴だ。 このロマンスは本当に壊れてしまった。金平さんが人に頼んで女性の素行調査をしたところ、芳しくない過去があることが分ったのだ。金平さんは嫌がる具志堅を説得して、強引に別れさせた。ここは3社連合の破壊願望が通った形がだったが、後味の悪さが強く残った。
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