騒ぎ鎮めるためリングで発砲?
ヨネクラジムの米倉会長と、ビジネス面でかかわりが深かったのは、2年ほど前に亡くなった河原木宗勝マッチメーカーだ。河原木さんはテレビ朝日のエージェントとして、米倉会長にテレビ放送の枠を斡旋していた。 元々、河原木さんは極東ジム・小高伊和夫会長(故人)の右腕というか、番頭さんのようなものだった。小高会長は選手育成、河原木さんはビジネスという具合に役割を分担していたように思う。 小高会長がTBSテレビと組んで開いた「ボクシング教室」から世界ジュニア・ライト級チャンピオン沼田義明が育ったのは周知の通り。どういうわけか、TBSは故金平正紀協栄ジム会長と結び付き、小高・河原木ラインはテレビ朝日と業務提携することになる。 昔のボクシング界には怖い人が横行しており、試合場も穏やかでなかったらしい。河原木さんが若かったその当時、場内を鎮めるために、リング上でピストルをぶっぱなしたという伝説がある。河原木さんにその真偽を確かめたところ、肯定も否定もしないで、いなされてしまった。否定しないことから、事実ではないかと判断している。 晩年の河原木さんは、世界タイトルマッチなどの国際マッチメークを下請けに出していたが、若いころは自ら海外に飛んでビジネスに当たっていた。これも伝説であるが、長靴姿でメキシコに渡航したことがあるとか。 メキシコといえばWBC本部のあるところ。河原木さんは当時のWBC会長ラモン・ベラスケス氏と密接な関係を結んだ。ホセ・スライマン会長が後継者になった後もそれは続く。テレビ朝日の窓口として、数々の世界タイトルマッチを手がけたが、中には首を傾げるカードもあった。WBCとのパイプがあるから実現したものもあるような気がする。 河原木さんには随分ご馳走になった。そんな恩をアダで返すのが芦沢主義だ。 確かWBA世界ジュニア・ミドル級チャンピオン工藤政志(熊谷)が2度目の防衛戦でマヌエル・ゴンザレス(アルゼンチン)を判定で退けた1戦。 私は自分の信念で「これは疑惑の判定だ」と書いた。翌日の勝利者会見。小坂克己・熊谷ジム会長らスタッフは、何ら抗議せずに黙認してくれたが、1人収まらないのが河原木さんだった。 満座の前で「デイリーの芦沢さんは採点がおかしいと書いているが、世界のジャッジが工藤の勝ちとしたのだから、芦沢さんはボクシングを見る目がないということだ」と皮肉った。 判定問題は物理的に白黒をつけることはできない。しょせんは主観の問題。私は反論のしようがなかった。ただこんな出来事が工藤を発奮させたのかもしれない。3カ月後に行われたリマッチで、ゴンザレスを12ラウンドKOに退けてふっぷんを晴らした。 前回は前回。今回は今回。私にとっても胸のすく結末だった。このKOをきっかけに、私と河原木さんの確執も氷解した。
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