夢かうつつか、酔いどれ記者が行く  芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』


 山縣孝行・十番TYジム会長(故人)


 渡嘉敷婚約報道で関係者から反発食った時
 私をかばってくれたのがこの人だった

亡くなった埼玉池田ジム池田伸夫会長の交際範囲に、池田さんが兄のように慕っていた十番TYジムの山縣孝行会長(故人)がいる。この人はボクシング界に入る前、東京に拠点を置くその筋の組織の幹部だったらしい。
 輪島功一が現役の世界チャンピオンだった当時、三迫プロモーションは、東京の飯田橋に事務所があった。ネタを取るのと趣味を兼ねて、私は毎日のように、事務所に通ったものである。4人そろえば麻雀だった。
 山縣さんは麻雀は打たないが、毎日のように三迫プロに顔を出していた。自ずと話をする機会が多く、気心知れた間柄となった。日系二世の山縣さんは、ロサンゼルスのボクシング関係者に顔があり、三迫ジムのビジネスを、側面から手伝っていたようだ。
 その後山縣さんは、薬物疑惑で金平正紀会長(故人)が表面から消えた協栄ジムを、サポートするようになった。同ジム5人目の世界チャンピオン渡嘉敷勝男が、王座に在位中のことだ。
 「あした発売の週刊誌に、渡嘉敷の結婚話が特報で載ることが分った。裏を取ってニュースにしてほしい」とデスクから要請された。相手と目される人の家を直撃して、しつこく前向きの答えを引き出そうとしたが「付き合ってはいるけど、結婚までは…」だった。
 勇み足だったかもしれない。デスクからの圧力もあって、ニュースにした。読者にとってはいいタイミング、書かれた本人には迷惑なことに、デイリースポーツの一面を飾ったのは、渡嘉敷の防衛戦の前日だった。世界戦の前日には記者会見がある。
 一通りの応答があった後、ひな壇にいた福田洋二トレーナーが「芦沢さん、選手の集中力が一番大切な時に、あんなでたらめな記事を、書かないで下さいよ」と厳しく責めてきた。満座の中、反論する材料を持ち合わせない私は、ぼう然と聞き流すしかなかったが、誤報という確たる認識もなかったので、謝罪はしなかった。
 会見の場がお開きになった後も、執拗に私を責める福田トレーナーと私を、会場のホテルのロビーに連れ出したのが、山縣さんだった。「福田、芦沢さんだってそれなりの取材をした上でニュースにしたんだ。そう一方的に責め立てることは失礼だぞ」と、かばってくれたのは、三迫プロモーションで通じたハートがあったからだと思う。
 ここでの失態を免れた上に、後年、私の書いたニュースは、当たっていたことが証明される。報道通りにご両人はゴールインして、今は円満な家庭を築いているのだ。
 一歩引いて考える。あの報道で渡嘉敷はプロポーズを決意したのかもしれないと。30年以上前のこと。会社の同僚に「電話交換娘の〇〇さんが、あんたに好意を抱いているらしいぞ」と屋台で杯をかわしながら話したことがある。その後の経緯は知らないが2、3年後、2人は結ばれていた。
 噂は1人歩きするという。そして真実にたどり着くこともある。渡嘉敷の結婚報道は誤報で、この噂を利用してトカちゃんは、愛する伴侶を口説き落したのかもしれない。結果よければ全てよしとしておこう。
 池田さんは常々、私に言った。「芦沢さん、やくざにはいいやくざも悪いやくざもない。みんな悪いんだよ」。そんな池田さんにとっても、元が付く山縣さんは例外だったのではないだろうか。97年8月、兄とも慕う山縣さんが病死。同年12月に、池田さんは後を追うようにあの世に旅立ったのだった。(上写真:山縣氏と、右は親しくしていた名トレーナー、ジェシー・リード親子:1983年撮影)

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