夢かうつつか、酔いどれ記者が行く  芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』


 上滝光文会長(上滝ジム)


 ゴルフの腕前ナンバーワン、ただし・・



 ゴルフ「池田会」のメンバーに、上滝ジムの上滝光文会長がいた。「ボクシング・マガジン」の平田編集長は、若かりしころ、上滝ジムでボクシングをやっていた。ジムで取材したことがある。ひと昔以上前の話だ。取材された平田氏が、今は取材する側に変わっていることに、時の流れを感じる。
 上滝会長はかつて、ボクシング界の親しい人から、“ひま人”と呼ばれていたことがある。ほとんどの会長さんは、何らかの内職をしながらジムの経営にあたっているが、上滝さんはジムの会長オンリー。日々、ジムをオープンする前の昼間、日本プロボクシング協会あたりで、ブラブラしていたのが、異名の由来だ。
 そういえば、三迫プロモーションが飯田橋にあったころ(これもひと昔以上前)、昼間から麻雀のメンバーで呼び出されると、上滝さんは嬉々としてやって来たものだ。そんな優雅な暮らしができたのは、親元がリッチだったかららしい。つまりスネをかじっていた次第だ。
「池田会」の中で、上滝さんの腕前はbPだった。どれほどの腕かというと、ラウンド90台と100台を行ったり来たり。ずばり言ってたいしたことない。この人が会の最上位なのだから、全体のレベルは推して知るべしだ。
 上滝さんはアルコールを受けつけない体質。いわゆる下戸である。だからといって、酒席に顔がないというわけではない。「池田会」はゴルフの後に、池田伸夫会長のおごりで、1杯やるのが常だった。飲めない上滝さんも、ゴルフからのそんな流れに、嬉々として加わったものだ。
 よほどのことがない限り、ゴルフは日が高いうちに終る。従って飲むといっても、大衆食堂か酒場しかオープンしていない。そんな場所を求めて池田さんが車を転がしてしていたある時、上滝さん(左写真)が「池田会長、芸者のいるところに行きましょうよ」と提案した。
 もちろん、これは冗談。そんな時間に芸者と遊べる割烹などオープンしていない。粋を重んじる池田さんに、このジョークは通じなかった。
「無理難題を押しつけやがって」。上滝さんは池田さんが亡くなるまで、悔しい思いをさせた。ほんの一言に、よくも悪くも怖さがある。素面の上滝さんにさえ、意図せぬ毒があるのだから、酔っ払い芦(つまり筆者だ)には猛毒があるかも…。

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